あ、ここに住もう。東京から単身、移住
もともと私は、結婚式の司会業をしていたのですが、30代後半になり体調を崩して退職。東京で専業主婦になるも、2年ほどで「自分には向いていない!」と痛感し、起業を考えるようになりました。その頃、読んでいた本の影響もあり、これから始めるなら社会に貢献できるソーシャルビジネスがいいな、と。そこで、自分が大好きな猫のことで、何かできないかと考え始めました。
それとはまったく別のところで、「60歳を過ぎたら、海辺の街に住みたいね」という夫婦共通の夢がありました。ある日、夫とともに軽い気持ちで『移住フェア』に足を運ぶと、そこに高知県のブースがあって。窓口の担当の方々がとにかく明るくて、ゆるい感じ(笑)、そのラテンのノリに「私、合うかもしれないな」と思ってしまったのです。
話が盛り上がり、とにかく一度、高知県に行ってみよう!ということになった。我が家には猫がいるので、夫に猫のお世話をお願いし、まずは私が先に高知県に足を運ぶことに。夫も「行っておいで」と快く送り出してくれました。
高知に行くと、移住相談員の方がいろいろな街を案内してくれました。が、矢井賀に来たとたん直観で、「あ、ここに住もう」と。海が見えるコンパクトな街、道を歩いていると住民の方々が気さくに声を掛けてくれる……。起業のことなど、まだ何も決めていませんでしたが、すぐに移住相談員さんに「ここで家を探してください」とお願いしてしまいました。
旅行から帰ってきたら、夫は私が本気で移住すると言いだしたのでビックリ!彼の仕事は転勤が多く、次はどこへ引っ越すかわからない。だったら、私は私のやりたいことをやりたい場所で実現するために、離れて暮らすのもいいんじゃない?と。ギリギリまで話し合って、一応、理解してもらったつもり(笑)。今はもちろん、だれよりも応援してくれています。
名付けて『港の猫とおばあちゃんプロジェクト』
何度か矢井賀に足を運びつつも、貸してもらえる家が見つかるまでは半年ぐらいかかりました。その間に私は東京で、ソーシャルビジネスに詳しい恩師に相談しながら、事業のアイデアをブラッシュアップ。「高知といえばカツオだよね」という話から、すでに大手企業が高知のカツオを使った猫のおやつを販売しているけれど、本社は県外にあるため地元にお金(税金)が落ちるわけじゃない。私は、地元のものは地元で売りたい、などと話していたら、「じゃあ、高知のお魚を使って、高知で猫のおやつを作ったら?」とアドバイスをもらった。それが始まりとなりました。
さらに矢井賀の役場の方からは、「地域おこし協力隊になって、事業の準備を始めてみては?」というお話しがありました。お恥ずかしながらそれまで、都内でマンション暮らしの私には「地域をおこす」という概念がなく、そのために活動している人や仕組みがあることも知りませんでした。聞けば、お給料と活動経費をいただきながら、起業準備ができるとか。それはいい!ということで、協力隊に応募しました。
また近く開催される高知のビジネスコンテストにも応募するよう勧められ、ビジネスプランの中にも、より地域を盛り上げるためにできることはなにかを意識するようになったんです。こうして、猫、人、街と自分が幸せにしたいと思うものがぐるりとつながるプランができあがりました。名付けて『港の猫とおばあちゃんプロジェクト』です。
猫のおやつを作って販売し、その売上げの一部を保護猫の活動をする人や団体に寄付。加工作業では地域のおばあちゃんたちを雇用し、殺処分などを含む猫のさまざまな問題と日本の地方の高齢化、過疎化にも働きかけるプロジェクトです。
数年前に愛猫が糖尿病になった時から、本当に体にいいものを食べさせてあげたいと思っていました。また、高齢化問題については、私の祖母が老人ホームで暮らしつつ、最期は心臓発作を起こし、病院で亡くなったことが心の中にありました。もともと元気な人だったので、本当は最後まで生き甲斐を持ち、社会で活躍したかったんじゃないかな。だから、高齢者のやりがい作りも、心からやりたいと思える柱のひとつになりました。
どんなにいいプランでも、心から自分がやりたいと思えることでないと頑張れない。その結果、話題になり、地域にいろんな人が来てくれるようになれば、自然と地域の活性化に繋がるのではないかと考えています。
地域のおばあちゃんたちが、いち早く協力
私が移住する前から、役場の方が働きかけてくれて、矢井賀のおばあちゃんたちが6〜7人もこのプロジェクトに「協力する!」と手を挙げていてくれました。さらに移住3日後に開催されたビジネスコンテストで、みごと優勝。賞金50万円という軍資金もいただき、順調な立ち上がりでした。
そこからみんなで、猫のおやつ作りを実践。魚を薫製にしたり蒸すなどして、どうすれば猫が喜んで食べてくれるのか、関東の保護猫カフェの方々にも協力をしてもらい、数か月かけて実験を繰り返しました。ああでもない、こうでもないとみんなで。この時が一番、楽しかったですね。
矢井賀のおばあちゃんたちの中には、夫が自営業や経営者だったというメンバーも多く、経営の話が通じたり、魚の加工も単なる作業ではなく、商品としてきれいに仕上げなければいけないというようなことをもともと理解できる面々が揃っていた。そこは本当に助けられました。
その日とれた魚にこだわり、仕入れに苦労
しいて言えば、苦労したのは鮮魚の仕入れ先探しでしょうか。太平洋に面した港町なので魚をタダでもらえることも多かったのですが、鮮度にばらつきがあり、少しでも鮮度が落ちた魚は猫たちが食べなかったのです。また、ペットフードとして販売するには、材料の仕入れ先を明らかにする必要があり、無料で入手した魚は扱いにくいという点もありました。
それで、いろんな漁師さんの話を聞いて周りました。すると今度は、全体の漁獲高が減っていることや魚がとれても安さを求められる市場では、漁師の労力に見合った報酬が得られないこと、そしてそのために、漁師の担い手がいない悩みなどを聞くようになりました。ここにも、社会問題があったわけです。
私も、なるべく安く仕入れたいけれど、漁師さんに負担を強いる取引ではなく、持続可能な取引でありたい。そこで、傷がついたり、磯の香が強すぎて人気がない魚など、市場では値が付きにくい魚を直接漁師から仕入れる作戦にしました。週に2日程度で、1回の仕入れは4〜6kg。小口のうえ、猫の体に良くない魚種は避けてもらうなど、ある程度の仕分けをお願いしなければならず、その手間に対応できる漁師さんがほとんどいませんでした。
そんな中、隣町の須崎漁港で若い漁師さんたちと出会いました。話をすると、喜んで協力する、と言ってくれたのです。その日の朝にとれた魚の中から、猫の好みに合うものを選別して、売ってくれる。魚種によって価格は若干、変動しますが、大きく上回らないよう調整してくれるなど、細かな対応もしてくれます。
全く売れなかった『お魚グリル』。今では数カ月の予約待ちも
原材料を「その日にとれた生の魚」にこだわることで、他との差別化を。だからこそ、魚種も変わりますし、海が荒れて魚がとれない日は販売もできない。自然の営みとは本来そういうことだと、お客様にも説明し、それをヨシと思ってくださる方にだけ、お分けしたいと考えました。
はじめのうちは、全く売れませんでした。買ってくれたのは、もともと協力してくれていた東京と千葉にある保護猫カフェ、2軒だけ。でも、地元のテレビやラジオ、新聞で取り上げてもらい、インターネット検索で上位に挙がってくるようになると、NHKなど全国区の番組からも取材が来るようになりました。
そして、2019年3月にフジテレビの人気動物番組で紹介されると一気に注文が殺到し、パンク状態に。まったく生産が追いつかず、しばらく販売停止とさせていただいたぐらいです。現在は、先の予約を取らず、販売できる時にメールマガジンで登録者にお知らせ。すると、これも1分ほどで完売してしまう状態です。
もちろん、この人気がずっと続くとは思えません。実店舗ではなく、通販なので締め切った先に、果たしてどれぐらいのお客様が並んでくださっていたのかも分からず、本当のニーズがどれぐらいあるのか、分かりづらい面がある。それでも、毎月注文してくださるリピーターさんが、既に80名。本当にいいものだと理解して、じっくりお届けを待ってくださるお客様が増えるのは、本当にありがたいですね。
今後は、私の右腕となってくれる従業員を1人雇用したいのと、作業をしてくれるおばあちゃんたちを増やしたいと思っています。作業は60歳以上としているのですが、60代や70代ってまだまだ元気。外へ働きに出ていることも多く、地方においても人手が不足している状況です。もっと地域の人に、ここで働きたい!と思ってもらえるよう、頑張りたい。そのためには多くの人に、この取り組みを知ってもらうことだと考えています。