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vol.2
2020.7.31

地域に開かれ「海藻学校-鳥羽市水産研究所の新たな挑戦-鳥羽市水産研究所 岩尾 豊紀さん

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伊勢湾と太平洋の境に連なる島々。その中で最も小さい有人離島の坂手島に、鳥羽市水産研究所がある。前の東京オリンピックイヤーの1964年に開設して以来、ノリとワカメの種苗生産や藻場の造成などに貢献してきたが、今年4月、本土に新たな施設が完成し移転した。海藻を主役に、水産振興の枠を超えたオープンな連携の場へ

人口1万8000人の漁業と観光のまちが挑む、ユニークな地方創生を取材した。

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一本釣りの島で海藻の種苗生産

「視察や社会見学も来るんですが、座ってもらえる場所もなくて」

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研究員の岩尾豊紀さんが言う通り、部屋の中は顕微鏡やサンプルのほか、さまざまな物や書類が溢れていた。

築55年の研究所の建物はスレート葺きの平屋が2棟並び、建築面積は465平米。さきほど示した事務室を兼ねた研究室のほか、海水をひくポンプや濾過装置、業務用の冷蔵庫のような恒温室、器具を作る作業室、通路脇に潜水調査の後に使うシャワーがあった。もう一棟は種苗生産専用で、底に牡蠣殻を敷き詰めた水槽がたくさん並んでいた。

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牡蠣殻の一つを取り出し、その表面に潜り込んだクロノリの胞子体が、斑点として現れているのを見せてもらった。これは生育の初期段階で、このまま培養し、海に浸してノリ網に採苗するまで作業をし、それぞれの養殖場に渡す。海藻類の繁殖は学校で習う陸上の植物と違い戸惑うが、社会見学に来た小中学生にも端折ることなく教えるという。

「子供たちにこそ、きちんと覚えてもらいたいんです」

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岩尾さんの専門分野は海藻だが、牡蠣養殖など他の漁場からの相談も受け、必要なら外部の研究機関につないでいる。島の外とは電話やLINEでやりとりし、自ら現場に出かけている。

研究所がある坂手島は東西約2キロの小さな島で、港がある南側の岸と山の斜面に集落が形成されている。かつてはタイなどの一本釣り漁で大いに栄えて、大正期には人口約2000人を抱え、その半分以上が漁業で生計を立てていた。

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しかし現在は300人ほどで、働き手の多くが島外への勤め人。島内の小学校は平成20年度までで廃校となり、児童たちも皆、定期船で通学している。逆方向に本土から8年間通勤してきた岩尾さんは、地元の人からかまど作りや葬儀の風習などを聞いた。古くからの暮らしの知恵や食文化の伝承が途切れつつあることに、危機感を抱いている。

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求められる新たな役割

さて、次に案内されたのは鳥羽市の北部、小浜漁港。こちらも一本釣りで活気を呈し名物のタコ壺漁も続いているが、ここ10年余りで高齢の漁業者が一気に引退。地元の小学校は平成18年度までで廃止となっている。新たな水産研究所が完成したのは、以前は資材置き場やヒジキやテングサの干し場として使われていた場所。鳥羽磯部漁協小浜支所の職員は、「最近は海の変化が激しくて漁獲量が読めない。科学的に判断できる研究所が目の前にできて、助言をもらいやすくなるのはありがたい」と、歓迎していた。

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新水産研究所は鉄骨造一部2階で、建築面積は550平米。最も広いのが水槽が並ぶ種苗室で、こちらではライトに加えて開閉式の天井幕でも調光できるようになっていた。海水濾過や恒温室の設備も更新され、独立した研究室と事務室、脱衣所の付いたシャワー室等と、従来の設備が整理、更新されていた。

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注目すべきは2階の広々とした会議研究室。80〜90人は入れるそう。前方に映写スクリーンがあり、冷蔵庫や流し台、調理器具も備え、大勢を集めた講義や料理ができる。2階には廊下をはさんで来客用のトイレに、書架を並べた資料室がある。

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「廊下は壁に沿ってレールを取り付け、吊物ができるようにしました。研究発表のパネルとか、海藻の絵などを飾りたいと考えています。資料室の活用法は未定ですが、漁業者や子供たちが、気軽に読書や調べ物ができるようになればと思います」

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「鳥羽海藻文化革命」を実現するための形

率直に言って、2階だけだと研究所というより学校に見えた。こうした設計は、鳥羽市が平成30年度から5ヵ年で取り組んでいる地域再生計画「『鳥羽海藻文化革命』幸福実感のもてるまちづくり推進計画」に基づくものだ。

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同計画は海藻に着目し、水産研究所の移転・拡充を前提に、従来の役割である水産振興に加えて食育、観光、芸術、健康、美容といった他分野との連携を掲げている。具体的な事業としては、以下の内容が挙げられている。

鳥羽市農林商工課の宮本益仁係長は、「研究所が島にあるままだと、市民にはなじみづらい。産業、環境、暮らしを守るためにオープンにしていきたい」と語る。この計画は、現場の岩尾さんとともに練り上げた。

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リアス式の志摩半島先端に位置する鳥羽市は、浅い岩礁が広く続き昔から藻場が豊かだった。三重県が全国トップシェアを誇るアオサをはじめ、ヒジキ、クロノリ、ワカメ、テングサなど多種類の海藻を収穫してきた。近年は素潜りで天然物を獲る海女が注目され、都会や海外から漁師町を訪ねる観光客が増えた。郷土食の「アラメ巻き」など、海藻の料理にもスポットが当たるようになった。観光部局は、海藻の色や形のおもしろさをアートとして表現する取り組みを進めている。

新水産研究所に賭ける決意

とはいえ、まだまだ地味なイメージの海藻を地域づくりの主役に押し上げ、身近とは言えない水産研究所を交流の拠点にするのは、前例のない挑戦だ。研究所移転にかかる事業費3億円は、国の地方創生交付金の対象となり負担は軽減されるが、鳥羽市にとっては思い切った投資で、当然、成果が問われる。

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これについて中村欣一郎市長に質問状を出し、以下のコメントをいただいた。

水産研究所は施設の老朽化で存続が危うかったのが、ここにきて健康食や美容、海の環境問題など、時代がマッチしてきた感があります。

種苗生産や漁業への寄与は大前提で、海洋教育、藻場再生、政策観光などにも活用していくことは、世の中が求めるSDGsを意識して取り組みを進められます。

三重大学、名古屋大学菅島臨海実験所、国立増養殖研究所、三重県水産研究所、鳥羽商船高専、鳥羽水族館、ミキモト真珠島、海の博物館等々、近隣に連携できる施設が集積していることも、夢が広がります。

これこそ他の地域にない、鳥羽らしいまちづくりです。

3億円をかけても新しい価値を付加して発信したい。

そして、「海藻文化」という新しい言葉を生み出してくれた、職員たちのポジティブで熱い思いにも応えたかったんです。〉

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海藻を旗印に、新たな水産研究所は、地域の未来をどう導くのだろうか。期待をして追いかけていきたい。

取材・文

鼻谷年雄(はなたに としお)

ライター、編集者。ゲストハウスかもめnb.運営。
三重県出身。東京のテレビゲーム雑誌編集部勤務を経てUターン。ローカル雑誌編集者、地方紙記者として伊勢志摩エリアの話題や第62回伊勢神宮式年遷宮などを取材する。フリーランスとなって三重県鳥羽市にゲストハウスかもめnb.をオープン。同市の移住者向け仕事紹介サイト“トバチェアズ”のライター、伊勢志摩国立公園関連の出版物編集などを手掛ける。ときどきシャボン玉おじさんに変身。

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