漁村の活動応援サイト
vol.6
2020.9.7

震災を機に漁業改革! 美味しさと共に物語を伝えるたみこの海パック 阿部 民子さん

宮城県北部に位置する南三陸町は、東日本大震災で6割が被災したと言われています。この地で30年以上、夫と共に養殖業を営みながら、被災体験がトラウマとなり、海に出られなくなってしまった阿部民子さん。自分にも何かできることはないかと考え、2012年秋、海産物を販売する「たみこの海パック」を立ち上げました。商品を売るだけでなく、地域に人を呼び込む観光ツーリズムにも寄与しようと、体験ツアーを企画。復興の様子や町の取り組みを伝え続ける、その熱い思いを聞きました。

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プロフィール

阿部 民子(あべ たみこ)

山形県米沢市出身。1984年、わかめや牡蠣、ホヤなどの養殖業を営む漁師と結婚し、宮城県南三陸町戸倉地区へ。2011年、東日本大震災により自宅と加工場が流出するも、2012年10月には水産加工品を販売する「たみこの海パック」を開業。2016年には、戸倉地区の牡蠣養殖業が海のエコラベルを示す「ASC国際認証」を日本で初めて取得、「たみこの海パック」はその取り組みなどを伝える発信地にもなっている。

海が怖い。そんな自分にできることとは

山形から嫁いできて今年で36年。震災前は養殖業の夫を手伝う、ごく普通の主婦でした。しかし、東日本大震災に見舞われて、家も加工場も流失。義父を失い、津波に流されていく人の姿を目撃するなどして、海が怖くなってしまいました。周りは皆、震災直後から海に出てがれき撤去を始めたというのに、私はどうしても近づくことができなかった。漁師の妻だというのに……。肩身の狭い思いをしながら、とりあえずは避難所になった民宿を手伝い、仮設住宅に入居してからは社会福祉協議会の仕事に携わりました。

そこで本当に、多くの人とつながることができたのです。遠方から来てくれたボランティアさんに、話を聞いてもらったり。地元の人はみんな被災者ですから、自分だけ弱音を吐くわけにはいかない。知らない人にだから話せるということも、あったのだと思います。

その中で、海に行けない私にも、できることを掘り出してくれたボランティアさんがいました。以前から私はよく、実家がある山形の友人や知人に南三陸の海産物を送っていたのですが、その経験を仕事に活かしたら?と言ってくれた人がいたのです。海に出なくてもいい、それなら私にもできるかもしれない!と思いました。

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ちょうどその頃、隣町で女性の起業家支援プログラムが始まると聞いて参加。家族に迷惑はかけないから!と約束し、夫からも了承を得て、震災から約1年半後の2012年10月、「たみこの海パック」を無我夢中でスタートさせたのです。

まずは道の駅や県内のスーパーに営業に行き、別件で出会った人にも全員に「こんなことを始めたからよろしく」「販路が欲しい」と必ず伝えました。資金がないから、ボランティアさん達に注文書を渡して先に代金をもらい、あとから商品を送るなんてことも(笑)。商品は自分の家のものだけでなく、南三陸町の海産物詰め合わせも販売。ギフト用として、喜ばれています。

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海を望む高台にプレハブひとつ、建ててのスタート。ここは事務所兼作業場、コミュニティスペースとして利用。実店舗は持たず、商品は他のお店に卸すかオンラインショップで販売する
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電話やファックス、メールで注文を受ける事務所スペース。最も大変だったのは「パソコンをイチから習得すること」
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商品は乾燥わかめやふのりといった海藻のほか、ウニや牡蠣、あわび、ホタテなどの季節限定商品も揃う
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「たみこの海パック」のオンラインショップ

語り部としての役割も担って

現在スタッフは、正社員1名とパートさんが2名。私以外は20〜30代の子育て世代、若い人が力を貸してくれるのが嬉しいです。おかげで身に着いたのが発信力。「たみこの海パック」では商品を販売するだけでなく、ブログやSNS、印刷物などで、町や海についてのさまざまを伝えることができています。震災後も我が家に残った船を利用して、養殖体験ツアーを開催。多くの人に実際に来ていただき、私が直接話すという活動も行ってきました。

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生産者の情報やレシピ、復興の様子などを伝える印刷物。民子さんが考えた内容を若いスタッフが形にしてくれることも多い

中でも、必ずお伝えしたいのは、我が戸倉地区が誇る漁業者の取り組みです。

どこも同じかと思いますが、戸倉地区の海は震災前、養殖棚が多すぎて過密状態にありました。私たち漁業者は、たくさん獲ってたくさん売るのがいいと思い込んでいたから、あちらの家が増やしたらこちらも増やす、と競い合いばかり。養殖棚がどんどん増えて、その分栄養素が行き渡らず、小さくて貧弱な牡蠣しか獲れなくなってしまっていたのです。普通は1年でできた牡蠣の水揚げが、3年も4年もかかることがありました。

我が家も震災前までは、牡蠣も帆立もホヤも、と一年中なにかを作っていました。地区ではそれが普通だったのです。そこに東日本大震災が起き、大津波が全てさらっていってしまった。漁業者全員が、生活基盤のほとんどを失いました。

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小さな浜が点在する南三陸町の戸倉地区。震災前は680世帯、現在は500世帯以下にまで人口が減っている。ほとんどの家が漁業にまつわる仕事をしている

その後は、3年間の期限付きで、国から支援を受けながら、みんなで地区に残ったわずかな船に乗り込み、漁業を立て直すことになりました。この時に、震災前と同じ形に戻す「復旧」か、新しい形で未来を見据える「復興」か、どちらを目指すかと話し合いが始まったのです。

痛み分けの漁業改革。取り組みを世界が認めた!

やっぱり良い牡蠣をとれるようにしなくちゃだめだ。おそらく全員が分かってはいたけれど、いざとなると、先祖代々のやり方を変えるのは本当に大変。年齢差はあるし、考え方も違う。手広くやってきた人とほんの少ししかやってこなかった人たちが同じスタートラインに立ち、既得権益も廃止してやっていくというのには、反対意見の方が多くて当然でした。それでも期限は3年しかない。4年目以降は個人に戻り、それぞれで稼いでいかなければならないという状況で、誰もが辛抱強く、話し合いを重ねたのです。

その結果、後継者の有無や各家の条件に合わせて養殖棚の数を割り当てるなど、地区全体が守る法則を作りました。特に牡蠣の養殖棚は、以前の3分の1にまで減らすことを決定。棚は多ければ多いほど良いと思い込んできたので、最初は誰もが戸惑いましたが、蓋を開けてみれば良いことばかり。栄養が行き渡って牡蠣がのびのびと育ち、1年でぷっくりとした最高に美味しい牡蠣が獲れるようになったのです。そのため価格も安定し、以前と同じ収入でも、労働時間は短くて済むようになりました。

この取り組みが、なんと2016年には、海のエコラベルを示す「ASC国際認証」を日本で初めて取得。小さな浜に、世界中からたくさんの人が視察などで訪れるようになりました。

また、2019年11月には戸倉牡蠣部会が農林水産祭天皇杯を受賞しました。

「たみこの海パック」では誇りを持って、来てくれるすべての人にこのことを伝えたい。一般のお客様にもわかりやすく説明するために、絵が得意なスタッフが紙芝居まで作ってくれました(笑)。

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視察や養殖体験ツアーなどで訪れた人々に紙芝居で分かりやすく解説。英語バージョンの用意もある

知ってもらうことが、海と食を守ることにつながる

こうした取り組みを見て、戸倉地区では若い人たちが漁業に興味を持つようになり、徐々に後継者が増えてきました。実は我が家でも、長男が家族を連れて都会から戻ってきて、養殖業を継ぐことに!これは、本当にうれしいと思います。

また「たみこの海パック」では現在、養殖体験ツアーに代わり、天候などにも左右されない新企画「ふりかけワークショップ」を絶賛、開催中。数種類の海藻を自由にブレンドし、オリジナルのふりかけを作りながら、海藻について学んでもらうという内容で、こちらもじわじわと人気が出てきています。

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スーパーなどに並んでいる海藻の約7割が韓国や中国といった外国産であることなど、消費者にも知ってもらい、日本の海や漁業を一緒に良くしてもらいたい。それが、食の安全にもつながるということなどをこれからも、しっかり伝えていきたいですね。

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養殖体験ツアーや戸倉地区の取り組みを学ぶ視察ツアーなどの参加者から民子さんに寄せられたメッセージ

たみこの海パック〜南三陸町 海産物の宅配便〜

住所
〒986-0781 宮城県本吉郡南三陸町戸倉長清水9-3
TEL
0226-46-9661
営業時間
9:00 〜 17:30
定休日
日曜・祝日・年末年始
MAIL
info@anchorajito.com
WEB
https://www.tamipack.jp/

取材・文

塩坂佳子(しおさか よしこ)

ライター、編集者。合同会社よあけのてがみ代表。『石巻さかな女子部』主催。
東京で雑誌の仕事をしていたが、東日本大震災後はボランティア活動をしに東北へ通い、2015年秋に宮城県石巻市へ移住。2017年にオリジナルキャラクターブランド『東北☆家族』をはじめ、東北のさまざまなことを企画・編集する合同会社を設立した。魚の街・石巻から日本の魚食文化復活を叫ぶ『石巻さかな女子部』部長としても活動。2019年には石巻の民泊『よあけの猫舎』もスタートした。https://yoakenotegami.com

取材後記

私が主催する『石巻さかな女子部』にも、わかめの養殖業を営むメンバー、恭子さんがいます。彼女の家もひどく被災しましたが「隣町に阿部民子さんという凄い人がいて、私も同じように頑張りたい」と話していたことがありました。恭子さんは『たみこの海パック』のHPを見て、その活動に元気づけられていたのです。

今回の取材後にFacebookでおふたりをつなげると、恭子さんはさっそく憧れの民子さんに連絡をとり、石巻の牡鹿半島から南三陸町まで車をとばして行きました。私のもとにはおふたりから「有意義なお話しがたくさんできた!」と感激した様子の報告が。小さな浜で自らビジネスを立ち上げ、頑張って来られた民子さんにとっても、この出会いは大きな励ましになったようです。

私自身も、南三陸町戸倉地区の取り組みが世界に注目されていることなどを知り、大変勉強になりました。東日本大震災から10年。人々の頑張りが、いろいろな形で実になっているのを感じます。一方、被災地はまだまだ復興途上。高い防波堤が造られるなどして、美しい漁村の風景も変わっていきます。

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津波被害がひどかった東北の沿岸部は、10年が経つ今もまだまだいたるところで工事が続く (2020年6月の南三陸町)
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