漁村の活動応援サイト
干潟よか公園のシチメンソウ夕景
vol.17
2021.2.10

佐賀のりに夢と情熱をかける佐賀市漁村女性の会 古川 由紀子さん

佐賀県有明海、広大な干潟の広がる東与賀海岸。秋には塩性植物のシチメンソウが赤く色づき、空と海とのコントラストが素晴らしい光景を生み出す。

2020年の海苔種付け解禁の日にあたる10月18日、18年連続日本一を目指して多くの漁船が前日に仕込んだ海苔網を積み早朝の有明海に一斉に出港した。

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夜明け前出港を待つ船
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朝焼けの海に出港する勝栄丸
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上空から見る養殖場はまるでカラフルな花畑

日本最大の海苔養殖を誇る有明海で生産高販売高ともに日本一を誇る佐賀のり。今回はこの佐賀のりを主体に海苔の加工品を製造して売り出し、海苔の佃煮「うまかのり梅(ばい)」を全国区に押し上げ、漁村で働く女性たちの中で、起業家の先駆者として今も活躍している「佐賀市漁村女性の会」(以下、女性の会)代表古川由紀子さんを紹介する。

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社屋正面玄関
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古川由紀子さん

元々海苔とは何の縁もなかった代表の古川さん。子育ても一段落した1991年、佐賀市の西与賀漁協(現佐賀県有明海漁業協同組合)の当時の組合長野中末一さん(後述の勝栄丸野中氏の父)に乞われて再就職したことが、自身の半生をかける佐賀のりとの出会いとなった。

当時まだ6次産業という言葉さえもない中、漁恊で女性部加工品事業部が発足し、入札に出品できないキズ海苔を加工品として売り出そうと試行錯誤が始まった。目指したのは「全国で売れるもの」。思い浮かんだのは和歌山の南高梅と佐賀のりのコラボだった。原材料を吟味して2001年に商品化した「うまかのり梅(ばい)」は、2004年に全漁連主催の「シーフード料理コンクール」で農林水産大臣賞を獲得した。

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うまかのり梅
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焼きのりアイス

続いて開発したアサクサノリをつかった「焼きのりアイス」も、初出品ながら大手食品会社の商品を抑え「優良ふるさと食品中央コンクール」でグランプリを受賞。順調に滑り出したと思われた事業だったが、経営としては成り立たず、時間と共に女性部の足並みが揃わなくなり、部員数はみるみる減少していった。

また事業の拡大とともに、古川さん自身も漁協本体の仕事と海苔の加工品の事業との両立に身動きがとれなくなり、家族や周囲の反対にあうも、遂に佃煮の事業に絞ることを決断し漁協を退職。追順した生産者の奥さん2人と、海苔関連の仕事に携わっていた石井はるみさんの4人で2010年、念願の法人化に漕ぎ着けた。

そんな折、県産品を大都市圏に売り込む県の事業がスタートし、本格流通に乗せて販路を開拓することになった。全国の漁村加工グループの中でも、中間流通を活用した販路拡大に踏み切った例はあまりない。生協との商談がまとまったのもこうした先見性が結果を生んだ良い事例だ。

主力商品・無添加佃煮

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3種類の佃煮

「うまかのり梅」は、現在では上質な佐賀のりと、佐賀伊万里産の完熟した南高梅を合わせた雑味のないサッパリ味で、発売以来のロングラン商品となっている。

また、「佐賀発 具だくさん佃煮」は、佐賀のり、ひじき、干し椎茸、干し筍、干し大根など、県産の海の幸山の幸が絶妙に絡み合い、美味しさもひとしおだ。

さらに、「バラ干し 佐賀海苔の佃煮」は、摘んだ海苔を板状にせずそのままの形で乾燥し香ばしく焙煎した焼きのりを使い、旨味や香りがギュッと詰まった海苔好きにはたまらない逸品だ。

調味料は一切添加物を含まない埼玉のヤマキ醤油と愛知の九重味醂。素材の良さを生かすため、着色料や保存料などの添加物は一切使っていない。「他社との差別化商品を作る」が信条だ。生協と取引が出来たのもこうしたこだわりの結果であり、高級スーパーや百貨店に販路が広がる重要な要素となった。商品開発した古川さんの企画と創作力、そしてその行動力には目を見張るものがある。

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撹拌釜で煮詰める
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充填機での瓶詰め
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佃煮工房のスタッフ

高級ブランド焼のり「勝栄丸」
海苔師 野中勝敏

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野中夫妻
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家族総出の海苔胞子付き貝入れの作業
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種付け作業後トラックに積む
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クレーンで船に網を積込む

女性の会の1人、野中和子さんの夫勝敏さんが生産する佐賀のりは、何十等級ものランク付けがされる入札会でも常にトップクラスを維持している。

有明海の干潟での養殖は干満の差を利用した支柱式。満潮時に海の栄養を十分摂り、干潮時に日光を浴び光合成を促す。

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    有明海のノリ漁場
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    摘み取り作業

漁場は通常1コマに5列張りだが、野中さんはあえて4列しか網を張り込まない。海水の通りを良くしノリの生育を促すためだ。二割減作は痛手だが、その分、高品質の海苔を作ることで水揚げ高は伸びる。

秋芽網は5、6回程の摘み取り後全部引き上げられ、その後冷凍網に切り替え新たに摘み取りが始まる。こうして手間暇を惜しまず養殖した海苔を原料とした「焼のり勝栄丸」は人気が高く、注文が後を立たたないため発送まで時間がかかる。海苔自体の品質はもちろんのこと、もうひとつの人気の秘密は「焼き」。その海苔のうまさを引き出す秘訣が「焼き」にあることを、殆どの消費者は知らない。海苔の良さを活かすも殺すも焼き方次第。勝栄丸の焼きを引き受けている古川さんの工房では、遠赤外線の焼き機を使って1枚1枚手差しで焼き上げる。その時の湿度や温度に対応して焼き機を調整する昔ながらの方法である。この方法にこだわりつづける、これこそが古川さんの情熱の証でもある。

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手差しで焼きあげる石井さん
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ブランド海苔勝栄丸

東京や、京都の有名料理店が女性の会に海苔を発注するのは当然のことのように思う。噂を聞いた他の海苔生産者が焼きをわざわざ頼みにくるのも焼きの名手と言われる由縁である。現在、京都や東京銀座の「米料亭八代目儀兵衛」のお店でご飯に供される海苔は、古川さんの手によるものである。

社会貢献
— 朝倉東高校とのコラボレーション商品 —
「虹かける」「ねぎっと佃煮」

忙しい仕事の合間にも若い人たちへの支援を惜しまない古川さん。地元の高校はもとより、昨秋は福岡県朝倉東高校の総合ビジネス科の生徒が、課題研究の授業で商品の企画・開発した朝倉特産のねぎを使ったふりかけ「虹かける」と「ねぎっと佃煮」の製造をサポートした。

ふりかけの原材料である野菜の乾燥を引受け、高校生と一緒に計量袋詰めを担った。女性の会にとってこの商品は初めてのことだったので、納得のいくまで何度もやり直し、翌日の作業になんとか間に合わせることができたとか。この話を持ち込んだ佐賀県鳥栖市の食品会社EverFood社長の倉橋正己さん共々、すべてがボランティアの作業だ。頭が下がる。

パッケージなどを改良し、先日完成品が送られてきたという。2つの商品は学内の発表会を経て、九州大分道下り山田サービスエリア、甘木鉄道甘木駅E-SHOPで販売しているという。どちらも好評のようだ。

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    作業前の打ち合わせ
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    完成した商品
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    開発から販売までを担当

また、古川さんは、東京水産振興会などが開催する、「うみ・ひと・くらしシンポジウム」の常連参加者でもあり、自社の事のみならず、全国の漁村女性のオピニオンリンダーとして、これからの漁村で活動する女性達を応援している。

今、多くの漁村で高齢化がすすみ、後継者不足などの問題が大きくのしかかってきている。シンポジウムなどを通して多くの人とのネットワークを繋いでいき、この問題を提起し、起業に夢をはせる若い人達を育てていく事にも力を注いでいる。

「サクッとのり」から「佐賀パリッ海苔」へ

3年前に古川さんが考案した女性の会の目玉商品「サクッとのり」は、ある通販サイトで10分間で2,000個を売った実績がある。小さく切った海苔に調味液を揉み込み、乾燥用の御簾に1枚ずつ広げて乾燥機へ。入庫時刻をホワイトボードに書き込み時計を見て出庫を数回繰り返す。すべて手作業のため量産できずお待ち頂くこともある。

袋入りで発売してきた人気商品だが、新年からは商品名を「佐賀パリッ海苔」に改名し、パッケージも一新して売り出すことになっている。

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    発売当時の「サクッとのり」のパッケージ
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    商品名とパッケージが変わります。

紆余曲折はあったが、法人化から10年以上が過ぎ、新しい機械の導入により人員も大きく削減され、作業の効率化が進み新商品も次々と生み出されてきた。

ここにたどり着くには並大抵の努力ではなかったと思うが、重要な局面で背中を押してくれた人達との邂逅も幸運だった。

商品作りのノウハウを1から教えてくれたのは、大手食品メーカーに勤務していた古川さんのご主人。首都圏の販路開拓に動いてくれた県の職員の方々。商品の価値を認め全国区の生協への道を広げてくれた大手卸会社のアドバイザー。その人達無くしては今の発展はなかったかもしれない。「運も実力のうち」というが、まさにその通りだ。「絶対に売れる商品しか作らない」という古川さんの信念が、その品質の高さを押し上げている。女性の会では他社のOEM商品も多数手掛けている。他社が欲しがる商品力こそが、品質の高さの証明といえる。

古川さんをはじめ古希を越えた年女が4人もいる佐賀市漁村女性の会ではあるが、気力も体力も充分過ぎるほどの元気な女性達。まだまだ夢は続いて今日も工房には笑い声が聞こえている。

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サクッとのり製造現場
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古いが自慢のじっくりふんわり乾燥機

佐賀市漁村女性の会OEM商品

取材・文

峰みゆき(みね みゆき)

佐賀県佐賀市出身
電通、日本旅行NTAホノルルを経てNHK佐賀放送局でFMの音楽番組やレポーターの仕事につく。結婚を機にフリーアナウンサーとなる。MCやナレーションの仕事を通して、古民家再生等の町づくりの活動をするNPO法人の仕事に携わる。現在取材を共にする川原氏と共にNPO法人佐賀まちづくり研究所に所属している。
海との関わりは、友人である「佐賀市漁村女性の会」代表古川由紀子氏の事業の拡大に伴い広報、販促を手伝ったことから東京水産振興会との繋がりができ、今回のライターの仕事を引き受けることに。
コロナ禍で県内を主に取材。収束後は九州一円の漁村で働く女性を取材、紹介していきたい。

川原理子(かわはら みちこ)

佐賀市在住(熊本県八代市出身)
元佐賀県教育委員会委員。その他、佐賀県環境審議会をはじめ、佐賀市政治倫理審査会など、佐賀市や佐賀県の委員会、審議会、協議会、懇話会の委員を歴任。並行して、地元佐賀新聞地域レポーターとして「取材を受けてくださった方の思いを、きちんと読者の皆様にお伝えする」をモットーに、熱気球や環境あるいは農業に関わる150人以上の方々の活動を20年間レポートしてきた。
他活動としては、佐賀市熱気球大会の英語ボランティアを20年。さらにチームを組んで佐賀市熱気球大会に5回競技参加したことで、海外に友人ができ世界が広がった。
自分にとって水産業は新しいフィールド。
そこで活躍する方々の姿や思いをお伝えできるのは本当に楽しみです。

編集後記

古川さんが独立前に台湾で引いたというおみくじを見せてくれた。「今はまだ頭は龍だが尻尾は魚、苦境にめげずジッと我慢し努力を続ければきっと全身龍となり青天に上り行くであろう」と書いてある。うまく行かない時、それを見て頑張ろう!と何度も励まされたという。なんて素晴らしいエピソードだろうと胸が熱くなった。

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