マグロ漁の副産物として餌にかかってくるサメ。そのヒレが、お隣り中国では高級食材として扱われると知り、ある商人が江戸時代からフカヒレの製造と輸出を始めた。それが、気仙沼のサメ文化の始まりだと言われています。現在、気仙沼は日本のサメの水揚げ量80%を誇り、専用の加工場を持つ水産業者も多いことから、全国でとれたサメが集められる一大拠点となりました。ヨシキリザメやモウカザメ(ネズミザメ)といった良質のサメが多く水揚げされるため、ヒレだけでなくサメ肉も活用し、全国に出荷しています。
サメ肉により高い付加価値を
「とはいえ、サメの価値は魚体の10%にしか満たないヒレの部分が圧倒的。残り90%の肉について商品開発を進め、付加価値を高めることで魚価の向上を目指すことが急務」と話すのは、事務局である(株)中華高橋水産の米倉研二さん。本社は東京にあり、米倉さんは気仙沼でふかひれ専門工場の工場長を務めています。
東日本大震災後には、生産がストップして顧客を喪失する未曾有の危機に、サメ肉加工を営んできた同業7社が結束し『サメの街気仙沼構想推進協議会』が発足しました。ライバル同士が手を結ぶのは、震災前の気仙沼では考えられないことだったと言います。
「まずは、みんなでいち早い再開を目指しました。さらに、フカヒレ以外のサメ肉の付加価値を高めて水産業を盛り上げよう、サメというキャッチーな存在を観光資源としても活用し、気仙沼の街全体を盛り立てようという構想を立てました」
これまでも、すり身になって全国に流通し、はんぺんなどおでん種の材料になってきたサメ肉。しかし「白身魚」などと表記されるため、一般的にはあまり知られてきませんでした。また高級食材のフカヒレは需要の多くが東京にあり、地元、気仙沼でもほとんど食べられてこなかったのです。
「最近になってようやく市内の小学校で、『シャークナゲット』などのサメ肉加工品が給食のメニューとして登場するようになりましたが、気仙沼は生産地であっても消費地ではありません。でも、東京の老舗のおでん種屋さんなどでは、ふわふわのはんぺんはヨシキリザメでないとできないと言われるほど、実はおいしい身なんですよ」
目標は、すり身よりも高い収益が出る切り身での提供を一般化すること。その分、製造条件も厳しくなるため、協議会会員たちは船上での鮮度管理手法確立のため、漁師さんたちを説得に走りました。
「最少人数の人員で操業する船が多い中、魚体内に温度計を入れたりタグをつけたりと、プラスアルファの手間をお願いする。最初は嫌な顔をされましたが、結局は、自分たちの水産業の未来が良くなることだと理解し、協力してくれるようになりました」
(株)中華高橋水産でも、フカヒレ以外のサメ肉専用の加工場を新たに稼働。スーパーや飲食店などでも切り身で買ってもらえるよう、調理方法を開発するなど、試行錯誤を続けています。
正しい情報発信、課題提議にも取り組んで
そして、同時に必要なのが気仙沼のサメ漁に対する正しい情報発信でした。海外の環境保護団体などから批判も多いサメ漁。ヒレだけを切り取って魚体は海に棄ててしまう『フィニング』と呼ばれる漁のやり方が残酷だと、時に海外のサメ漁を引き合いに出した極端なメッセージを拡散されることもありました。しかし気仙沼では、『フィニング』どころか、マグロ漁の副産物としてとれてきたサメを棄てずに、ヒレは中華食材、肉はすり身、骨はサプリメントやペットフード、皮は皮革製品などとして、全く無駄なく活用してきたのです。
「誤解があっても今までは、なかなかうまく反論することができずにきました。が、数社で集まって協議会を結成したことで、大声でしっかりと正しい情報を出せるようになりました。また、一番フカヒレを使う中華料理業界にも『フカヒレだけでなく、サメ肉も使ってください』と個別ではなく、団体としてメッセージを伝えることで課題提議となり、その後、日本中国料理協会さんでは、サメ肉を使った中国料理コンクールを開催してくださいました。まだまだ普及とまでは行きませんが、みんなで頑張っていきたいと思っています」
稀有なサメ文化を持ち、日本一の水揚げ量を誇ってきた気仙沼での活動。これからは、環境保護や食品ロスといった観点からも、注目が集まりそうです。
◎写真提供/サメの街気仙沼構想推進協議会
『サメ街気仙沼』
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