漁村の活動応援サイト
vol.45
2022.7.11

大間にこの人アリ! 街を興す火付け役Yプロジェクト株式会社 代表取締役 島 康子 さん

本州最北端の地、青森県大間町で街おこしの火付け役として大活躍する島康子さん。そのユニークな発想と人を巻き込む強烈な牽引力は、県内外から一目置かれる存在です。そんな島さんのこれまでの活動についてお話を伺いました。

プロフィール

島 康子(しま・やすこ)

青森県大間町出身。高校進学で青森市に移り、大学進学で東京へ。卒業後は株式会社リクルートに就職し、東京、仙台勤務を経て、1998年に大間町へUターンした。2000年に「まちおこしゲリラ集団 あおぞら組」を結成、2013年にはYプロジェクト株式会社を設立。2014年には北海道と下北半島の女性有志で「津軽海峡マグロ女子会」を結成し、イベントや着地型ツアー商品の企画開発など、大間のみならず津軽海峡全域の地域振興に取り組んでいる。

また大間に来てね!幼い頃の思いが原点

津軽海峡の向こうに北海道を望む青森県大間町。県庁所在地である青森市までは車で約3時間かかるが、北海道側の玄関口である函館まではフェリーで約90分。そのため、買い物や通院などは、もっぱら函館に行く人が多いという地域です。

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目の前の海が津軽海峡、その向こうに見える陸地が北海道

約20年前、実家の家業を継ぐためこの大間町に戻ってきた島康子さん。その直前には、忙しかった広告業の仕事をやめ、仙台で何もしない一年間を過ごしたと言います。
「だから、エネルギーが有り余っていたんです。帰ってくるなり、とにかく何かやりたい!と(笑)」

NHKの連続ドラマ『私の青空』の舞台として大間町が一躍、有名になると、ドラマを見て大間を訪れてくれたお客さんたちを少しでも喜ばせようと、島さんは仲間と一緒に「まちおこしゲリラ集団 あおぞら組」を発足。まずは大間港で、函館を往復するフェリーの出迎えや見送りをする『旗振りゲリラ』を実施しました。

『旗振りゲリラ』とは、突如、大漁旗をもって現れ、入港時には「よぐ来たのー!よーぐ来たのー!(よく来たねー!よーく来たねー!)」、出港時には「へばの~!まだ来せよ~!(それじゃあね!また来てねー!)」と叫びながら、フェリーに向かって旗を振り続ける儀式のようなもの。フェリーの乗客も思わず甲板に出てきて、大きく手を振り返してくれます。
この『旗振りゲリラ』が大評判となり、その後は役場職員や地元の高校生などたくさんの人が参加するようになりました。

「幼い頃、埠頭はトラックや旅人で賑わっていました。赤灯台のある岸壁がいつもの遊び場で、フェリーが入ってくるたびに必ず手を振っていたんです。お客さんが喜んで手を振り返してくれるのがうれしくて。あの時の気持ちが旗振りの原点ですね」

さらに「あおぞら組」では大間のオリジナルグッズを作って販売、これが人気を博すようになり、2013年にはその収益事業部分を法人化した『Yプロジェクト株式会社』が立ち上がりました。

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取材時に旗振りを実演してくれた島さん。フェリーから見えないよう姿を隠して準備、
出航と同時に勢いよく飛び出して大漁旗を振る。サプライズの見送りに観光客も大喜び!
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任意団体『まちおこしゲリラ集団 あおぞら組』は2021年に解散、旗振りは地元高校生などに託された
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島さんの実家である製材会社の一角を占領して作ったYプロジェクトの事務所。
「マグロ一筋」とデザインされたTシャツやトートバッグ、大漁旗の布を使ったアイテムも大間のお土産品として大人気に

『津軽海峡マグロ女子会』が発足!

そして2008年には、大問題が勃発! なんと、函館行きのフェリーが赤字続きかつ船の老朽化のため、廃止になるかもしれないという話が持ち上がりました。通院などにも利用していた町民にとっては生命に関わる航路、地域ぐるみで必死に反対運動をおこしました。

その甲斐あって、今回は存続が決定し、フェリーも新しく生まれ変わることに。しかし、今後も廃止の可能性をなくすには、観光客を増やして赤字を解消するしかない、と痛感した島さん。街おこし事業の交流会などでそんな話をしていると、北海道の松前町で旅館の女将をしている女性と意気投合しました。彼女が暮らす松前町も函館から車で約2時間、島さんの地元、大間町と条件が似ていたのです。

「ちょうど2年後に、北海道新幹線が開通するという年でした。函館までは観光客が来るけれど、その先の大間や松前といった小さな町にはどうしたら足を運んでもらえるのか……。同じ危機感を持つ者同士、共通の友人たちにも声を掛け、みんなで一緒に行動しよう!と盛り上がりました」

津軽海峡に面して点在する小さな町で、さまざまな仕事や活動を通してわが街を盛り上げたいと考える女性たち。そんな勢いのある生き方を泳ぎ続けるマグロにたとえ、会の名前を「津軽海峡 マグロ女子会」と命名。北海道側は松前町の女将が、青森側は島さんがとりまとめ役となり、津軽海峡を共に盛り上げてくれるマグロ女子(通称:マグ女)を集めることとなりました。その結果、自治体職員からデザイナー、メディア関係者など観光業に関わらず、職業、年齢もさまざまな『マグ女』が徐々に集結し、今では約90名に。北海道新幹線が開通した2016年には、自分たちで協賛を募り、『マグ女のセイカン博覧会』も成功させました。

マグ女のセイカン博覧会』とは、マグ女たちがそれぞれの場所でそれぞれに、街歩きやイベント企画などを立ち上げ、同時多発的に開催。観光客が訪れる動線を「毛細血管のように」張り巡らせようという試みで、その後コロナ禍の影響を受ける2020年までは毎年秋に実施されてきました。

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2017年には「第9回観光庁長官表彰」、2018年には内閣府「女性のチャレンジ賞」を受賞した津軽海峡マグロ女子会

その中から、島さんがとりまとめる下北半島では『マグ女のウェルネスツーリズム』も誕生。青森ヒバの森林を歩き、天然温泉に浸かった後は、海と山の幸を使った地元ならではの料理を提供。海を一望しながらのヨガや漁港歩きなども楽しめる1泊2日の旅プランは、コロナ終息後の本格始動を待つのみとなっています。

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『マグ女のウェルネスツーリズム』のパンフレット。Yプロジェクト(株)のウェブサイトからダウンロードも可能
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ガイドをつとめる下北半島のマグ女のみなさん

海の問題から始まった『大間アゲ魚っ子』

そして2021年からは、『海と大間の未来づくり実行委員会』が発足。『日本財団 海と日本プロジェクト』の事業の一環として島さんの会社が事務局となり、『大間アゲ魚(さがな)っ子』と名付けた取り組みがスタートしています。

これは、マグロが有名な大間ではあまり注目されてこなかった白身魚にスポットをあて、子どもたちも食べやすい大間の新名物を作り、海の豊かさを守っていく心を育もう、というもの。背景には、海洋環境の変化などでかつてのご馳走がとれなくなってきた大間の海や子どもたちの魚離れ、海離れといった問題がありました。

そこで島さん率いる実行委員会では、白身魚のミンチ揚げを「アゲ魚(さがな)っ子」と名付け、津軽海峡でとれた白身魚と海藻を使うことを条件に、自由な発想でのメニュー開発を呼びかけ。街中の飲食店や宿泊施設、小学校などを巻きこんで、もっか一大ムーブメントを興そうと活動中です。

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「アゲ!アゲ!ポーズ」で海の未来をアゲる、気分をアゲる。もちろんこれも島さんの考案
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子どもたちを連れて漁場見学なども実施

実家の製材会社でも、夫と共に働く島さん。しかしその実態は、大間のみならず津軽海峡全域を興そうと企てる、まさに『街おこしゲリラ』の首領ドンなのでありました!

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取材時にはマグ女によるビーチクリーンイベントが開催されていました。写真は左から島さん、坂本さん、古畑さん、三津谷さん、鎌田さん、吉田さん。ヨガインストラクターや新聞バッグづくりのインストラクター、木箱制作会社の社長など多彩な顔触れ

Yプロジェクト株式会社

ウェブサイト
https://yproject.co.jp

まちおこしゲリラ集団 あおぞら組

ウェブサイト
http://www.oma-aozora.jp

津軽海峡マグロ女子会

ウェブサイト
https://magujyo.link/whatsmagujyo/

マグ女のセイカン博覧会

ウェブサイト
https://magujyo.link

大間アゲ魚(さがな)っ子

ウェブサイト
https://omasaganacco.jp

取材・文

塩坂佳子(しおさか よしこ)

ライター、編集者。合同会社よあけのてがみ代表。『石巻さかな女子部』主催。
長く東京で雑誌の仕事をしていたが、東日本大震災後はボランティア活動をしに東北へ通い、2015年秋には宮城県石巻市へ移住。石巻市産業復興支援員を経て、2017年には合同会社を設立し、オリジナルキャラクターブランド『東北☆家族』や民泊『よあけの猫舎』を運営、印刷物やイベントの企画・編集、制作なども手掛ける。魚の街・石巻から日本の魚食文化復活を叫ぶ『石巻さかな女子部』部長としても活動を続ける。

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