漁村の活動応援サイト
vol.51
2022.10.31

それでも海と生きる人たちを、デザインで支えたい
福島県浪江町 アートディレクター 馬場 立治たつはる さん

東京と福島で二拠点活動を続けながら、福島の街や産業のプロモーションを手掛けてきたデザイナー・馬場立治さん。中でも、2021年から始まった福島県浪江町、請戸(うけど)漁港との関わりは「人生観が変わるほどの転機になった」と話します。福島原発事故の影響で、今なお町の一部は帰還困難区域となっている浪江町。その故郷に戻り、海と生きることを選択した漁師たちの姿は、馬場さんの目にどう映ったのか、お話を聞きました。

デザインなんて何の役にも立たない

東日本大震災の直後から東北に通い、岩手、宮城、福島とさまざまな地域で泥かきなどのボランティア活動を経験した馬場さん。当時は東京から被災地に通うたび、自分の生業であるデザインの非力さを痛感したと話します。

「自分は美術系の大学を出て、これしかやってこなかった。何かできることはないのだろうか?と悩みました」

そこで思いついたのが、福島に対する風評被害を東京で払拭するというもの。例えば、割り箸の袋にメッセージを入れて販売し、その売上を義援金として送るのはどうだろう……。そのアイデアが、馬場さんをある運命的な出会いへと導いていきました。

「そもそも国内産の割り箸自体が少ないので、難しいだろうと思っていました。が、調べると福島県のいわき市で、割り箸を作っている『株式会社 磐城高箸』という会社を発見したんです。すぐに連絡を取り、社長さんに会いに行きました」

2010年8月に創業したばかり、その約半年後に被災した『株式会社 磐城高箸』。そこには、震災の影響で出荷がキャンセルになってしまった割り箸が3,000膳も、残っていたのです。ほぼ同世代の若き社長さんとも意気投合、馬場さんは割り箸を買い取り、東京で販売させてもらうことにしました。

「パッケージをデザインして、2本セットで300円。これが、とてもよく売れたんです」

その後、被災3県(岩手・宮城・福島)の杉を使い3本セットで500円、ワンセット売れる毎に被災3県に50円ずつ寄付をするという『希望のかけ箸』を『株式会社 磐城高箸』と共同開発。馬場さんがパッケージをデザインしたこの割り箸が、大ヒット!のちに多くの賞を受賞することになります。

[photo01]
現在も『株式会社磐城高箸』のオンラインショップで購入できる『希望のかけ箸』。
岩手県・宮城県・福島県の杉間伐材を使用し、グッドデザイン賞など数々の賞を受賞した

二拠点で福島の町と産業をプロモーション

『希望のかけ箸』をきっかけに、馬場さんのもとには2015年から会津若松市、二本松市、浪江町と、復興庁などから福島県の街や産業に対するプロモーションの依頼が来るようになります。

特に海岸沿いに位置する浪江町は、2017年に町の一部が帰還困難区域解除となったばかり。同じ福島県内でも内陸部とは全く雰囲気が異なり、震災や原発事故の影響がまだまだ色濃い地域です。

「今でも山間部は帰還困難区域に指定されていて、そこを車で走り抜けて町へ入るという状況。これは、今まで以上に覚悟を決めなければ、請けられない仕事だと思いました。腹をくくって全力でやらなければ……と、福島県に住民票を移すことにしたのです」

東京でも多くの仕事を抱えながら、福島に通っていた馬場さん。浪江町の仕事が決まってからは、東京に事務所を残しつつ、仕事ですっかり仲良くなっていた地域の人々が世話をしてくれ、福島県にも拠点を作る事ができました。

水産業が復活しなければ真の復興はない

浪江町では、帰還困難区域の一部解除に伴い、戻ってきた人々が農業を再開していました。しかし、当初は出荷した農産物から基準値を超える放射性物質が検出されるなど、食べ物を出荷するのは難しい状況でした(現在は、安全性が確認され出荷可能)。そこで町は新しく、トルコギキョウという花の栽培をスタート。馬場さんは地域の人たちと話し合いながら、動画やポスター、パンフレットなどの広報物を制作、PRに奔走しました。

その結果、浪江町のトルコギキョウは、2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックで、メダリストに授与される副賞『ビクトリーブーケ』にも採用されたのです。

[photo02]
オリンピックにビクトリーブーケを提供したのは、浪江町のNPO法人Jin
[photo03]
馬場さんがデザインしたポスターやTシャツ

「この時は本当に嬉しくて、町の人たちと一緒に喜びあいましたね。それと同時に僕の中では、浪江町は農業もさることながら、やはりメインであった水産業が復活しないと真の復興はありえない。この町の水産業のサポートもしたい、という思いが、ふつふつと湧いてきました」

漁港をプロモーションする事業の入札の知らせが飛び込んできたのは、その翌年のことでした。馬場さんは「絶対にこの仕事をとりたい!」と、なるべくコストのかからない方法を提案し、見事落札。しかし、本当に大変だったのは、ここからだと言います。

「東京からぽっと来て、自分たちが作り上げたストーリーに被災地をはめこんでいく。そんな仕事は絶対にしたくないと思ってきたので、地域に通い、皆さんと顔見知りになることから始めることにしています。が、漁師町独特の町の人ですら近寄りがたい雰囲気。よそ者は寄せつけない! という感じで、漁師さん達の中に入るとっかかりが見つからず、最初は途方に暮れました」

それでも馬場さんはあきらめず、競りが行われる早朝をねらって港に通い続けました。そうするうちに少しずつ、若い漁師が口をきいてくれるようになりました。

「時間をかけてじわじわと近づいていき、やっと皆さんと話ができるようになりました。そこで改めて、請戸漁港のプロモーションについて聞いてみたんです。自治体としてはやると言っているけれど、皆さんはどうですか? 本当にやりたいと思いますか? って。すると、『恣意的な出し方をしないなら、やってもいい』という本音が出てきました」

自分たちの現状を知ってもらおうと、これまで多くの時間を割いてメディアや広告代理店などの取材に応えてきた人々。しかし結局は、自分たちが伝えたい部分はカットされ、作り手が考えた通りの「お涙ちょうだい的なストーリー」に仕立て上げられてきた。もう、そんな発信の仕方にはウンザリだという、被災地の人々の本音でした。

「請戸の漁師さんたちは本当にこの海が大好きで、心から楽しんで仕事をしている。震災後、とてつもなく大変な思いをしてきた彼らですが、一番には『この海が好き!漁をするのが好き!』というシンプルな気持ちだったのです。その思いが、福島原発に最も近いこの請戸漁港を再開にまでこぎつけてきた」

戻った漁師の数は震災前の約3分の1。しかしその中には若い男女の姿が多く、生まれ育った地元を思う熱い気持ちが、漁港の絆をより一層強くしている。そんなことを感じ取った馬場さんは、プロモーションの柱として、若い漁師たちのまっすぐな思いを描くことに決めました。

[photo04]
[photo05]
馬場さんが作成した、若い漁師たちを全面に打ち出した請戸漁港のプロモーションアイテム。
「むさんこ行くべ!」は請戸弁で「がむしゃらに行こうぜ!」

イキイキと働く若い漁師たちの姿が印象的な動画や広報物は、完成後、大きな反響を呼ぶことになりました。暗くて重い感情と安易に結び付けられがちな福島の物語。しかし、馬場さんが作ったものを見ていると、人はもっと強く、もっと前に進んでいるということがよくわかります。

「別の地域や当事者でない人たちからは、『他に伝えるべきメッセージがあるだろう』などと、お叱りの声をいただくこともありました。でも、請戸の漁師さんたちが喜んでくれたことがなによりもうれしく、良かったと思います。大変な経験をまったく感じさせない。そんな彼らと接していると感動するし、人って本当に強いんだな、といつも教えてもらっている気がするんです」

勝手に力が入りすぎ、実は「やればやるほど赤字になる」と笑いながら、福島での仕事はもはやライフワーク。ダサくてもいいから生々しく、これからも人々の「素の姿」を描き続けたいという馬場立治さん。それでも海と生きることを選択した請戸の漁師たちとの出会いが、自らの生き方をも変える、大きな転機になったと話してくれました。

【請戸 漁師編】“むさんこ行くべ!食えば分かるさ、請戸もの”【請戸漁港PR動画①】 - YouTube

取材・文

塩坂佳子(しおさか よしこ)

ライター、編集者。合同会社よあけのてがみ代表。『石巻さかな女子部』主催。
長く東京で雑誌の仕事をしていたが、東日本大震災後はボランティア活動をしに東北へ通い、2015年秋には宮城県石巻市へ移住。石巻市産業復興支援員を経て、2017年には合同会社を設立し、オリジナルキャラクターブランド『東北☆家族』や民泊『よあけの猫舎』を運営、印刷物やイベントの企画・編集、制作なども手掛ける。魚の街・石巻から日本の魚食文化復活を叫ぶ『石巻さかな女子部』部長としても活動を続ける。

目次へ