漁村の活動応援サイト
vol.57
2023.1.20

今春にはドキュメンタリー映画も公開!
半島に嫁いだ女性が紡ぐ、ある宿の物語
気仙沼市唐桑半島 
民宿『唐桑御殿つなかん』女将
 菅野 一代 さん

「ボランティアで来てくれた人たちが、また帰って来られるように」。そんな思いで東日本大震災後、被災した家を建て直し、民宿を始めた菅野一代(かんの・いちよ)さん。ここでの交流をきっかけに、学生だったかつてのボランティアたちが次々と半島に移住するなど、瞬く間に話題の宿となりました。とびきり明るい笑顔が印象的な一代さん。しかし5年前には海難事故で最愛の家族3人を失うという信じられない悲劇も乗り越えています。そんな彼女と若者たちの交流を10年以上にわたり撮り続けた映像がドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』として、公開されることとなりました!

漁師姿にほれ込んで
22歳で銀行員から浜の嫁に

典型的なリアス式海岸が続く、ダイナミックな景観が美しい気仙沼市唐桑半島にある鮪立しびたち地区。一代さんの嫁ぎ先であった『盛屋水産』も、この地で盛んな牡蠣の養殖業を営んでいました。22歳で嫁ぐまでは、岩手県久慈市から上京し、東京で銀行に勤務。海の仕事どころか、2世帯で暮らす浜の生活自体が初めての連続でしたが、窮屈さはなく、新鮮で面白さを感じたと言います。

「むしろ私が来て、浜の暮らしをハチャメチャにしちゃったのかも(笑)。男の人は黙って座って、女の人がせっせと動く、そんな土地柄でしたが、私は男の人にも平気で『お茶飲みたいからお湯わかして!』って。義理の父にも『これが私ですから』と宣言する破天荒さ。地域の人も『変わった嫁が来たな』という目で見ていたと言っていました(笑)」

地に足をつけて、常に自分らしく生きていたい。そう考えていた一代さんは、あえて自分を変えなかったと言います。その裏のない明るさに、義理の親も地域の人もすぐに心を許し、一代さんは家族と一丸になって『盛屋水産』を盛り上げていきました。

「朝が早く、寝ないで働くことも。これを一生続けるのかと、つらい時もありました。でも、海の仕事をしている姿がかっこいいとか、カッパ姿がかっこいいとか、ひとつでも尊敬できることがあれば続けていけるんです。夫に認めてもらいたい、喜んでもらいたい。お義父さん、お義母さんにも良い嫁をもらったと思ってほしい。そんな気持ちで人一倍頑張りました」

こんなはずじゃなかったと思うことはもちろんあるけれど、文句を言ってそのまま終わる人生は嫌。「どんなに小さな箱の中でも、自分らしく輝ける術を見つける」。それが私の好きなやり方、と一代さんは笑います。

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ダイナミックな景観が魅力の気仙沼市唐桑半島

ボランティアたちとの出会いを機に
民宿をスタート

忙しくも平和な暮らしを一変させたのは、東日本大震災。3人の娘に恵まれ、夫の両親と2世帯で暮らしていた家は3階まで浸水、牡蠣養殖に必要な道具もすべて流されてしまいました。

それでも、悲嘆に暮れる間はなく、一代さんは全国から駆け付けてくれた学生を中心とするボランティアたちと一緒に働き、汗を流し始めました。一帯が被災し、寝泊まりする場所がなかった彼らに、屋根と柱があるだけでもマシ、と家を提供。この出会いが、一代さんに民宿を始めさせるきっかけとなりました。

「ボランティアの人たちには本当に励ましてもらったので、この子たちが戻ってきた時に出迎える場所を作りたいと思ったんです。家を建て直し、民宿をしようと決意。私がやると言ったら、家族も反対しませんでした。もちろん、牡蠣養殖の仕事も続ける。両方やる!と言って始めたんです」

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半島にいくつか点在する「御殿」と呼ばれる特徴的な家。
「久しぶりに海から戻った時ぐらいは立派な家で眠りたい」という、遠洋マグロ漁師たちの誇りの表れだとか

こうして、2013年には民宿『唐桑御殿つなかん』が誕生しました。開業とともに、かつてのボランティアたちが全国からぞくぞくと足を運び、その中から移住する人まで複数出てくるなどして、多くのマスコミに取り上げられました。養殖業もイチから建て直し、民宿と海の仕事の両方で大忙し。また家族一丸となり、以前にも増して充実した日々が始まったのです。

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名前は「鮪立(しびたち)」という地域の名前にちなんで、
マグロの英語名である「ツナ」と一代さんの苗字、菅野の「カン」を合わせて「つなかん」とした
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震災前の自宅とほぼ同じ間取りを再現した家庭的な室内。談話室では知らない客同士も話が弾む
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牡蠣など地元の海産物をたっぷり使った一代さん手作りの夕食

目に見えなくてもずっと一緒。
前より強くなった自分を信じて

しかし2017年3月、再び信じられない悲劇が一家を襲います。漁に出ていた夫、和享(やすたか)さんの船が沖合で転覆。一緒に乗っていた長女を亡くし、和享さんと三女の夫が行方不明になったのです。

「つらくて、つらくて。光も見たくない、外も歩きたくない。周りの人も、今は何もしなくていい、ただ息をしているだけでいいから、と心配してくれました。でも私はそれが、かえっていろいろなことを思い出してつらかった。だったら忙しくして、思い出さない自分を作ろう、とある時ふと思いたち、民宿を再開することにしたんです」

事故からわずか3カ月後の再開には誰もが心配しました。しかし、毎日来るお客さんの中には、事故のことを知らない人もいる。必死に笑顔を作って、その瞬間、瞬間をごまかしながら生きていると、少しずつ、痛みがやわらいでいくようだったと一代さんは話します。

「そのうちに、みんなが安心できるように生きたいと思うようになってきました。どうしたら、みんなが喜んでくれるか、自分もしっかり生きていけるのか。残された次女や三女、孫たちも安心して暮らせるようになるのか。今は目に見えない存在になったけれども、夫も長女も義理の息子も、ちゃんと見ていてくれる。みんなが見ていてくれるから、しっかりしなきゃって」

命あるもの、いつかは必ず別れが来るけれど、今までつながってきたという過去は、絶対にゆるがない。その事実をしっかりと心に落とし込めれば「生きていける」と一代さん。

「あ、こんなことしていたら笑われるな、しっかりしないとって、いつも目に見えない家族の存在に問いかけられています。また、待っていてくれる人がいると思うと、死ぬことすらちょっと楽しみ。いつかまた必ず会えるよ、という気持ち。怖いものが何もないってこういうことですね。みんなを自分の中に取り込んで、かえって前より強くなった部分があります」

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家族やボランティアたちとの思い出が飾られる館内。
事故後に閉業した牡蠣養殖の『盛屋水産』は家族の誇りだ

その後、民宿『唐桑御殿つなかん』には、知人を通じてあるサウナ会社からサウナトースター(移動式サウナ)が寄贈されました。気温が下がり、訪れる人が激減する冬期にも、サウナを目的に、まったく違う客層の方々が足を運ぶようになっています。

「また新しい出会いがあって本当に楽しいです。そして、最後の夢としては、津波をかぶりながらも海岸沿いに残った倉庫を改修して、今度は海に落ちる夕陽を眺めながら入れるサウナを作りたい。そこは昔、私と夫が大好きだった場所なんです。今のところはそれが、私が思う『つなかん』の最終形。まだ私自身は、海を見たいという気持ちにはなれないけれど」

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本格的なフィンランド式サウナが楽しめると人気のサウナトースター。
現在は民宿の敷地内に設置しているが、震災後に高い防波堤ができ、眼前に広がる海は見えなくなっている
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宿泊客の乗った車が、見えなくなるまで旗を振って見送るのが恒例。その温かさに、また帰ってきたくなる

そして今年。民宿『唐桑御殿つなかん』の物語がドキュメンタリー映画として公開されることになりました。これは、ニュース番組の仕事で訪れた現役ディレクターの風間研一さんが、その後何度も足を運んではカメラを回し、一代さんと若者たちの交流を10年以上にわたり撮り続けた映像を編集したもの。タイトルは、『ただいま、つなかん』。ぜひ、ご覧ください!

ドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』より
映画『ただいま、つなかん』より(1) 映画『ただいま、つなかん』より(2) 映画『ただいま、つなかん』より(3)
映画『ただいま、つなかん』より(4) 映画『ただいま、つなかん』より(5) 映画『ただいま、つなかん』より(6)
映画『ただいま、つなかん』フライヤー

ドキュメンタリー映画『ただいま、つなかん』
公式ウェブサイト

https://tuna-kan.com/

2023/2/24 (金) より、宮城のフォーラム仙台
2023/2/25 (土) より、東京のポレポレ東中野
ほか全国各地で順次公開

取材・文

塩坂佳子(しおさか よしこ)

ライター、編集者。合同会社よあけのてがみ代表。『石巻さかな女子部』主催。
長く東京で雑誌の仕事をしていたが、東日本大震災後はボランティア活動をしに東北へ通い、2015年秋には宮城県石巻市へ移住。石巻市産業復興支援員を経て、2017年には合同会社を設立し、オリジナルキャラクターブランド『東北☆家族』や民泊『よあけの猫舎』を運営、印刷物やイベントの企画・編集、制作なども手掛ける。魚の街・石巻から日本の魚食文化復活を叫ぶ『石巻さかな女子部』部長としても活動を続ける。

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