魚屋が367店舗から85店舗に減少
「僕が子どもの頃は、休憩する場所もないぐらいお店がみっちり入っていました。市場の隅っこでコーヒー牛乳を飲みながら、お母さんが買い物するのを待っていた記憶があります」
東京で広告業界に勤めていたが体調を崩し、実家へ帰省中に東日本大震災が勃発。そのまま被災地となった地元・塩釜で生きることを決意した大江玲司さん。2012年には復興庁の事業で市場のPR業務に従事し、2019年2月には現在も兼任する(株)塩釜水産振興センターの代表取締役に就任。市場で買った魚介を持って来てもらい、その場で調理、ご飯やお味噌汁と一緒に提供する市場内の店舗運営を任されました。
「地元では当たり前だった新鮮な魚介がどれだけ美味しくて貴重だったか、東京に出て気づくことは多かったですね」
市場自体も素晴らしい素材なのに、外への見せ方が弱い。そう感じていた大江さんは、広告業界で身に着けた知識や経験を活かせるのなら、と、市場全体のプロモーションにも関わるようになりました。
塩釜水産物仲卸市場は、1966年(昭和41年)、対岸にあった魚市場がこちら側に移設するというタイミングで、魚市場の外で魚を青空市で売っていた人々が組合を結成したのが始まりです。目玉はなんといっても、日本有数の水揚げ量を誇る塩釜漁港のまぐろ。さらに塩釜はお寿司で有名な街、寿司店が使える商材を並べなければと、三陸全体や北海道などからも多様な水産物を取り揃えるようになりました。県内外から飲食店などのプロが仕入れにやってくるだけでなく、週末には人気の観光スポットになる塩釜の顔。
しかし時を経て、事業者の高齢化とともに水産物を扱う店の閉店が続出。開設当初の367店舗から、2023年現在は85店舗にまで減ってしまっています。
「建物自体は変わらないので、中がスカスカになっている状態。本来は1店舗につき1コマだったスペースを今は3、4コマ使ってもらい、なんとか場所を埋めている状態です」と大江さん。このままでは60周年を迎える2025年には50店舗を下回ってしまう。なんとかしなければいけない…。誰もがそう思いつつも、なんら対策を打てずに来ました。
市場の未来を考える会を発足
一方、大江さんは市場で働き始めた当初から「若い人が結構いるのに、彼らが意見を述べたり、自主的に行動することが少ない」という印象を持っていました。
そこで、同じ志を持つ若い事業者たちと共に『市場の未来を考える会』を発足。まずは上の世代の前では言えないことを全部吐き出すよう促しました。すると出てきたのが「この市場で本当に、自分たちが安心して事業を継承していけるのか」という未来に対する不安や疑問。毎年、店舗が減り続け、どんどんスカスカになっていく。建物の家賃は組合費で賄うため、分母が小さくなるとその分、1店舗あたりの負担が増していく。考えるだけでも恐ろしい…。それが、次世代の声でした。
組織の合併と世代交代を実現
「同じ県内の女川という街が『還暦以上は口を出さず!』と明言して、被災後の街づくりを進め、目覚ましい成果をあげました。塩釜の市場でも高齢の事業者さんが多く、変化に対する抵抗が強く保守的。気持ちはわかりますが、それだと本当に未来がない。次世代に市場を継承するなら、時代に合わせて変えるところは変えていかないといけません」
2020年、大江さんらは『市場の未来を考える会』を前身として、市場を運営する理事会に対し、さまざまなことを提言する組織として『ブリッジプロジェクト』を発足。そして真っ先に、長年の課題だった組織の合併について着手を促しました。
塩釜水産物仲卸市場では開設当初から、ひとつの建物を4つの会社で管理。会社ごとにエリアを分けて経費を負担してきたため、全体では4倍の経費がかかっていたのです。会社間のしがらみも多く、全体で何かを動かそうにも4つの会社から同意を得るのに時間がかかり過ぎました。事業者が多い時代ならまだしも、今となっては弊害ばかり。しかし合併の話は10年ほど前から出ていたにもかかわらず、一向に進む気配がありませんでした。
そこで改めて『ブリッジプロジェクト』が提言することで、話し合いに2年を要したものの、昨年6月にようやく組織が統合。そのタイミングで、60歳以上が多数を占めていた理事会が40~50代へと一気に若返りました。組織の世代交代が実現したのです。
「もちろん相談役として、先輩たちからご意見を伺いながらですが、塩釜仲卸市場の魅力が改めてメディアでも大きく取り上げられるようになり、ブリッジプロジェクトの熱量が、きちんと伝わった結果だと思います」
古き良き雰囲気は守りつつ、新たな魅力を創っていく
これからは、2軸の戦略で市場を盛り上げていくという『ブリッジプロジェクト』。そのひとつは「魚屋さんの数を減らさないこと」。温暖化などの影響でとれる魚が大幅に変わってきた昨今。コロナ禍に戦争の影響もあり、水産業自体がのきなみ厳しい状況ですが、塩釜水産物仲卸市場では「資金繰りができずにお店をたたむ人は少ない」と言います。
「顧客はついていて需要はある。家族経営のお店がほとんどだが、後継者として従業員も視野に入れてはどうかなど、事業継承を促して魚屋さんを守っていく。同時に、空いた場所にはどんどんテナントを入れて、施設の運営費を外からも集め、出店者の支出を増やさない努力もしていきます」
さらにもうひとつの基軸は、「空いた場所を市場の魅力度をあげるために利活用していく」こと。市場の奥のスペースを約1年半、商材はなんでもOKの週末出店エリアとして開放。手作りアクセサリーや多肉植物など今までにはなかった商材が並び、まったく違う客層が市場を訪れるきっかけにもなりました。その中から安定した売上を作れ、定借として続けられそうなお店に声をかけて、正式に整備したのが2022年10月。宮城県で大人気のラーメン店も誘致、営業はかなり順調だと言います。
「普通の路面店と違い、早朝から昼過ぎまでで、夜の営業はなし。平日は仕入れに来るプロがほとんどで、金土日の週末にお客さんがどっと来ます。そんな市場独特の流れをうまくつかんで、きちんと回転させれば、しっかり稼げるという成功事例ができました」
風土を感じる商材や目の前で魚がさばかれるライブ感など、古き良き雰囲気と形式はしっかりと守りながら、常に変化があってワクワクする。そんな魅力的な市場を創っていくという『ブリッジプロジェクト』。コロナ禍が明け、いよいよ外国人観光客も本格的に戻ってくる兆し。老舗市場の躍進は、日本の水産業全体を明るく照らす道標になるかもしれません。