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vol.66
2023.10.19

福井の糊屋と伊勢の漁村がつないできた
三重県伊勢市 株式会社大脇萬蔵商店伊勢工場

毎年、夏の数日間だけ稼働する、糊の元となる「板ふのり」の工場がある。製造者は福井県福井市の株式会社大脇萬蔵商店。工場があるのは三重県伊勢市のはずれにある東大淀(ひがしおいず)町。お国言葉も違う者同士が、どんなチームワークで働いているのか。このままでは消えてしまいかねない風景を、どう生かしていけばいいのか。一日の作業を追いながら、疑問の答えを探したい。

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沿岸部の開けた土地を生かした板ふのりの工場。

広く平らな「板ふのり」の工場

伊勢市の中心部から国道23号を上り、郊外の交差点を右に曲がる。見晴らしの良い伊勢平野の農地をまっすぐに抜けると、込み入った住宅地が現れる。さらに奥へ進むと伊勢湾の海岸。堤防に沿って工場と空いた敷地が並んでいて、市境の河口に小さな漁港がある。

そんな風景の東大淀町で、大脇萬蔵商店は創業時の100年余り前から「板ふのり」を作り続けてきた。

板ふのりは、海藻のふのり(マフノリやフクロフノリなど)を糊に利用しやいよう板状に加工したもの。煮て溶かし、紙や布などを貼る糊や、漆喰などに混ぜて使う糊になる。現在は多くが化学製品に替わられているが、昭和の中ごろまでは身近に使われていた。

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塩抜きのために乾いた原藻を水に漬けると、鮮やかな赤紫に。

昔ながらの作業風景

取材のアポをとって朝7時に工場を訪ねると、すでに作業の本番だった。

工場の敷地は近所の小学校よりやや小さいくらいで、大部分は屋外の干し場。端に古い感じの作業小屋が建ち並んでいる。入り口からすぐのところにコンクリートの水槽と井戸を備えた水場がある。

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役割分担され、ふのりの入ったかごの山を連携して次に送る。

水場の水槽まわりで男性が5,6人、忙しなく動いていた。

乾いたふのりの原藻を、井戸水の水槽で塩抜きして戻し、それをかごに入れて今度は薬品が入った水槽に漬ける。かごがたまったら、手引きの車に載せて干し場へと運んでいく。

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かごを載せた車を引いていく。道具類も昭和の頃と変わっていない。

干し場には女性が5,6人。2人1組でむしろの前に膝立ちで並び、ノリ付けと呼ぶ作業をしていた。

ノリ付けは、むしろに木の枠をはめてその内側にふのりを置いていく。むしろは4列で敷かれていて、1枚終わると枠を背後にまわし、下がりながら長い距離を繰り返していく。

資料で見ていた6,70年前の様子とほとんど変わらない。文字通り「昔ながら」の作業だ。

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むしろに木の枠を置き、そこにふのりを置いていく。

伊勢で作って福井で売る

水場から休憩を呼び掛ける声が上がった。大脇萬蔵商店の大脇豊弘さんだ。

大脇さんは、東京の大学を出て商社勤めをしていたが、30歳を前に福井に戻り、家業を継ぐ形で入社した。毎年夏、福井からやってきて進んで炎天下の作業に参加している。

「今年は視察や取材も入っていてまる10日間います。それでも本社から電話が掛かってきたり、パソコンを持ってきて見積書を書いていたり……」

大変そうな言葉とは別に、汗をかいた表情は生き生きとして見えた。

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休憩中、汗だくの大脇さん(右)と藤島さん。

今年は140×70cmサイズの板ふのりを、1日150枚、10日間で1500枚作る計画とのことだった。それが1年分で、福井に運んで商品にする。

近年では多いほうだが、それでも大脇さんが入社した16年前と比べると半分ほど。昭和の中期に「伊勢ふのり」としてヒジキとともに売り出されていた時代とは、比較にならない。化学製品の糊など低コストな材料への転換が、大きな要因だ。

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天日干しは1日~1日半。夕方には小屋に回収し、
日をまたいで翌朝、また並べる。

「良い板ふのり」のために

休憩後の現場に話を戻すと、ノリ付けを終えたふのりは、そのまま夏の日差しと風にさらして乾燥させる。

原藻のふのりは赤紫色だが、薬品の作用で黄みがかった白に脱色されていく。ただ、薬品の作用や乾かせ方を間違えると、黒ずみや糊分の漏出が起こってしまう。

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散水は通常2回だが、ふのりの状態をよく見て控えるときもある。

その繊細な品質管理を任されるのが、大脇さんとともに福井から来ている工場長の藤島詔司さん。薬品に漬ける時間や途中の散水によって色落ちや乾き具合をコントロールする職人だ。

「良い板ふのり」とはどんなものなのか聞いてみると、「糊分があってきれいなもの。白に近いほどいいですね」と答えた。

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乾ききった板ふのりをむしろからはがす作業。

東大淀の明るい面々

他の働き手たちはみんな、地元東大淀町の人々。とりまとめるのが森美千子さんだ。

水槽まわり担当の男性陣には、森さんの親族が多い。車を引いていたのは森さんの旦那さん。水槽の中で海藻をすくい出していたのは高校生のお孫さん。会社勤めの息子さんが出勤前の早朝に来てくれることもある。

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作業小屋に残る落書き。森さんの次男さんの仕業とのうわさ。

干し場担当の女性陣は森さんの同級生たち。日よけ対策を万全にして精力的に働く。休憩中に森さんのはからいでアイスキャンディーが配られ、筆者も一本いただいてしまった。

おしゃべりに花が咲く中、周辺一帯がふのりやヒジキの干し場だった時代の様子を教えてもらう。子供の頃から手伝いをしていた人が多く、「まだまだ元気」なコメントを期待していたら、「もうしんどいさ!」とあけすけな声が返ってきた。失礼しました……。

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板ふのりを竹の刃でこすりごみを取る「ガシ取り」作業。

40代半ばの大脇さんも現場では若者扱い。毎年この時期だけ、福井のオフィスを離れてこんな雰囲気の中に迎えられるのを、実は楽しみにしてきた。

「東大淀は明るい方が多い。はっきりとものを言ってくれるので助かります」

現場で率直な意見を聞いて、作業のやり方や仕事量、時間帯などを調整してきたのだろう。ちなみにこの日の仕事は、気温が高まる前に済ませようと朝6時に開始していた。

それでも現実として、高齢化による限界は迫っている。小さな漁村の中で新しい働き手を見つけることも困難だ。設備投資による省力化も難しく、今の売上では採算が見込めない。

このままでは近い将来、工場の移転か廃止をせざるを得ない。

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仕事がひと段落し、水分補給をしながらおしゃべり。

「ふのりはうちのDNA」

このように板ふのりは厳しい状況だが、食用ふのりの商売はむしろ好調なのだそう。

海藻が健康食として注目を浴びてきている上、麺のつなぎとしてふのりを使う新潟県魚沼地方の名物「へぎそば」が、ちょっとしたブームとなっている。その影響なのか、ここ数年、ふのりの原藻の価格が跳ね上がっていると聞く。

景気の良い面もあるが、限られた量を固定客に販売している板ふのりについては急激な値上げを避けたい。大脇さんの心中は複雑だ。

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大脇萬蔵商店は、現在は長崎産のふのりを使用している(写真提供:大脇萬蔵商店)

大脇萬蔵商店は、明治33(1900)年に城下町の福井で創業した。現在は繊維糊剤から食品、印刷、建築資材など幅広い事業を手掛けるが、もとはふのりが専門の「糊屋」だった。

「創業当初はこれだけで飯を食っていました。ふのりはうちのDNAなんです」

遠い伊勢の地に工場を設けた理由はわからないが、昔から海藻がよくとれた志摩に近く、気候や地形が干すのに適していて、ヒジキ加工との兼業がしやすいと、条件は抜群だった。

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東大淀の堤防付近の眺め。

一方の福井では、伝統の絹織物の糸の糊付けに、ふのりがもてはやされた。現在では化学製品の糊で代用されるが、美しさに違いが認められ、高級品には今でもふのりが使われる。

また、一度、紙などを貼っても水に溶かせばきれいにはがせる性質を生かして、貴重な文化財の修復に重宝されている。使用先は奈良県にある国宝の高松塚古墳壁画や、海外にも及ぶ。

ふのりは現代でも美術や工芸品の隠れた材料であり、人類の文化を陰で支えているのだ。

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ふのりの接着剤が文化財資料の修復に使われるところ。(写真提供:大脇萬蔵商店)

未来の宝が埋まる場所

50年余り前に出版された『大淀郷土史』からは、東大淀町と隣接する明和町大淀の沿岸地域で加工されたふのりは、ひじきと並んで「伊勢ふのり」として売り出されていたことがわかる。30年ほど前の調査では、ふのり加工場の主として、福井の商店が2軒、ほか数軒の地元商店が記録されている。

しかし今年、東大淀町内を歩き回って板ふのりを確認できた場所は、わずか2カ所。

そんな中で、大脇萬蔵商店は、大学などと協力してふのりを使った商品開発に取り組んでいる。

「うちは今では卸売業がメインですが、ふのりだけは自社製造しています。ふのりをみなさんにもっと知っていただければ、新しいビジネスチャンスが生まれるかもしれません」

日本人がふのりを採集し、生活に利用してきた歴史は1000年を超える。それを現代につないできた風景には、未来に通じる宝が埋まっているかもしれない。今こそ光を当てたい。

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大脇さんと藤島さん、そして森美千子さん(左から2番目)ら東大淀町の人々。

株式会社大脇萬蔵商店

住所
福井県福井市宝永4丁目7番2号
電話
0776-23-2273

ふのりドットコム

ウェブサイト
https://www.funori.com/
参考資料
  • 『年報 海と人間 Vol.23』海の博物館・財団法人東海水産科学協会発行
  • 「海とにんげん&SOS Vol.37」鳥羽市立海の博物館・公益財団法人東海水産科学協会発行
  • 中野イツ著『大淀郷土史』三重県郷土資料刊行会発行

取材・文

鼻谷年雄(はなたに としお)

ライター、編集者。ゲストハウスかもめnb.運営。
三重県出身。東京のテレビゲーム雑誌編集部勤務を経てUターン。ローカル雑誌編集者、地方紙記者として伊勢志摩エリアの話題や第62回伊勢神宮式年遷宮などを取材する。フリーランスとなって三重県鳥羽市にゲストハウスかもめnb.をオープン。同市の移住者向け仕事紹介サイト “トバチェアズ” のライター、伊勢志摩国立公園関連の出版物編集などを手掛ける。ときどきシャボン玉おじさんに変身。

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