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vol.66
2024.1.18

真鯛に宿る家族の絆
三重県度会わたらい郡南伊勢町 大下水産/寶鯛の食堂 日々 大下 弘和さん・清美さん・航平さん

風ではためく白い暖簾をくぐると、小柄な女性が明るく出迎えてくれました。

ここは、三重県度会郡南伊勢町迫間(はさま)浦にある「寶鯛たからたいの食堂 日々にちにち」。鯛の養殖業を営む大下水産が運営する、土日のみ・完全予約制の食堂です。

——「ゴリゴリの刺し身を味わってみてください。」

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ゴリゴリ?普段聞き慣れない表現に目を丸くします。刺し身をいただいてみると、まさにゴリゴリ。実は食堂でいただける鯛は当日の朝に水揚げし、神経締めをした、どこよりも新鮮なもの。名物の「鯛の炙り寿司」をはじめ、朝獲れ・捌きたての真鯛と地物食材を味わえます。

食堂での時間が流れるにつれて、何だか心が温まっていく不思議な感覚。ここにしかない陽だまりようなモノが「寶鯛の食堂 日々」にはありました。

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食堂で感じる陽だまりのようなモノは何だろう。確かめるために、「寶鯛の食堂 日々」を営む大下水産の大下ご家族を訪ねました。

日々、鯛と向き合う

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大下水産の1日は、鯛の餌やりから始まります。「寶鯛の食堂 日々」から鯛の養殖生け簀までは車で5分、船で15分の計20分ほど。鯛の餌やりは、大下弘和さん(以下、弘和さん)と息子の航平さんの仕事です。

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餌やりに時間をかけるのは「変化に気づくため」

自動給餌器に餌を補充しながら、じっと生簀内を観察する弘和さん達。例年と比較して、その日の水温と餌の食べ方に変化が無いかを確認し続けます。

——弘和さん「こっちの生簀は特注の餌を食べんもんで、今日はやめた。隣の生簀はガブガブ食べとるんさ。こっちは食いが悪い。」

餌の食いつきを観察し続けるのは、いち早く異変に気づくため。異変を察知したら、原因を探り、迅速に対処します。例えば、原因が寄生虫であることがわかると、消毒で虫を落とします。鯛も人と同じで、早期に予防することが大切だと話します。

三重県魚類養殖の最東の地 鯛養殖が盛んな南伊勢町

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五ヶ所湾の様子
(大下水産 提供)

優美なリアス式海岸が広がる五ヶ所湾は、三重県の魚類養殖において最も東側に位置している場所といえます。その理由は水温の差。水温が低ければ魚はあまり餌を食べません。例えば、より東側の三重県鳥羽市の湾では冬の水温がぐっと下がる傾向にあり、約8度〜9度。対して、南伊勢町の五ヶ所湾の冬の水温は約11度〜12度で、近年は海水温の上昇もあり約14度ほどあります。

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——弘和さん「ここらへんの養殖は、ほぼ鯛やな。」

南伊勢町迫間浦は三重県下で鯛養殖が盛んな地域です。鯛養殖事業者は約10軒で、五ヶ所湾には150台ほどの養殖筏が浮かんでいます。大下水産は約14台(※.取材時)の筏で鯛を養殖し、1年半〜2年半ほどの期間をかけて稚魚から成魚に育て、約9割は漁連や仲買を通じて出荷しています。

——弘和さん「鯛養殖1本のところもあれば、釣堀や仲卸業もして運んで売っとるところもある。みんな、それぞれさ。」

水揚げした鯛を即日加工して、翌日発送

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加工品用の鯛を神経締めする様子

——弘和さん「僕らが鯛を直接売るのは、加工品と食堂だけやな。」

大下水産では2009年3月から加工品の製造・販売を始めました。餌やりを終えた後、3日前までに受けた加工品の注文数に応じて鯛を水揚げします。

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元は漁具倉庫を加工場に改装した

加工作業は2人の場合、平均的に夕方には商品が完成します。ただし、仲買への出荷や海での別の作業が重なると、夜遅くなる時も。過剰な注文は受けず、注文数に応じてお客様と相談の上で発送日を振り分けるなど、工夫を凝らしています。鮮魚出荷と加工品出荷の違いは、発送時間に余裕を持てる点にあります。鮮魚の場合は水揚げ後、14時までには出荷できる状態にしなければいけません。対して、加工品であれば翌日に発送対応ができるため、時間の融通が利きます。

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大下水産が加工品の製造を始めたきっかけは、当時、何か新しいことに挑戦しようと一致団結した仲間たちの存在。仲間と切磋琢磨して、一人は冷燻製、もう一人は昆布〆、そして大下水産は西京漬けを商品化しました。当時は全くの手探りで作業台やシンク、真空包装機、冷蔵庫を揃えて、まず始めたと当時を振り返る弘和さん。

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——弘和さん「鯛の西京漬けは、嫁さんがどんなものを作ったら良いんかを考えて行き着いたんさ。」

鯛の頭付き西京漬け誕生エピソード

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左:清美さん 右:弘和さん
(大下水産 提供)

——清美さん「最初は鯛めしを考えていました。でも、米飯ってすごく難しくて。」

南伊勢町迫間浦では住民が日常的に鯛めしを食べる習慣があったことから、まずは鯛めしの商品化を試みた清美さん。色々な種類の味を作って、いざ保健所に商品化の相談をしたところ様々な業種の許可を得る必要があることを知り、断念します。何かヒントがないか、加工品開発に行き詰まった清美さんは本屋を訪れていました。

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(大下水産 提供)

——清美さん「手に取った本に昔の保存方法として味噌漬けが紹介されていました。味噌漬けなら冷蔵で1週間くらい持つ。それなら、味噌漬けでいいんじゃないと思ったのが最初です。」

元々、鯛めしの味付け候補に西京漬けがあったことに加えて、様々な漬けの中でも西京漬けが鯛の色を損なわない最善な方法だと確信。そうして、本格的に「鯛の西京漬け」の商品化に取り掛かりました。

まずは西京漬けを食べ比べようと、有名なお店の商品を取り寄せた清美さん。食べ比べてみて気づいたのは、魚があまり美味しくないことでした。当時、小さかった子ども達も味噌は美味しいと食べても、魚はまずいと食べません。そこで行き着いたのが、生の魚のままで注文を受け、加工してお客様の元へ届けるという考えでした。

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(大下水産 提供)

——清美さん「味付けは至ってシンプルに。私達らしく、魚の味がする西京漬けにしたかった。」

鯛が主役なので身に色がつかない白味噌を選択。砂糖は使わず、味噌の甘みにハチミツを加えてコクを出し、鯛の旨味を引き立てます。また、切り身の西京漬けを作る過程の中で美味しい鯛の頭も食べてもらいたいという思いから、「鯛の頭付き 西京漬け」が誕生しました。現在は西京漬けに加えて、鯛の昆布〆、鯛茶漬け、塩釜焼きなど、商品ラインナップが充実しています。

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(大下水産 提供)

——清美さん「主人が魚を捌くようになったのは、加工を始めてからです。」

当初、加工作業は清美さんが担当していました。しかし、鯛の頭を半分に割るにはどうしても力が必要で、失敗ができない作業。失敗してしまうと、再び鯛を水揚げしなければいけません。俺がする、その一言で魚を捌くのは弘和さんの担当になりました。

——清美さん「主人は捌き始めたら、すごい上手になっていきました。頭を割るにしても、絶対に失敗せえへん。これはあんたの仕事や、みたいに自然となりました。」

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今は息子の航平さんも魚を捌きます。弘和さんは航平さんの魚捌きを「安心して任せられる」と太鼓判を押します。

3.11の津波で筏が被災
加工品事業が励みになった

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2011年3月11日の東日本大震災で発生した津波は、南伊勢町の養殖筏に被害をもたらしました。津波が筏を巻き込み、生簀の中で死んでしまった鯛。津波被害後、借金をして新たな稚魚を育てながら、大下夫妻は大変な時期を過ごします。清美さんはパートに出て、とにかくずっと働いていたと話します。

——清美さん「加工品は私達の励みになりました。みんなの応援があったから、だから頑張りきれた。」

大下水産の売上の内、加工品が占める割合は大きくはありません。それでも、津波の被害を乗り切れたのは加工品製造を通して、お客様の声が届いたから。大下水産では、今も目に付くところに被災時にいただいたお見舞い袋を置いています。

一人では実現できなかった「朝獲れ真鯛が味わえる食堂」

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(大下水産 提供)

2023年1月28日にオープンした土日のみ・完全予約制の食堂「寶鯛の食堂 日々」。元々は加工品の受け渡し場だった建物を、食堂に改装しました。

加工品の製造・販売を始めてから、清美さんは百貨店などの催事販売に力を入れました。商品を卸すのではなく、お客様に直接、私達の思いを伝えたい。そんな思いで2009年〜2011年、津波被害の期間を経て、2013年と催事販売を積み重ねていきました。そうして、ある心境の変化が生まれます。

——清美さん「外に行っていても、あかんのかもって。ここでやらなって思えてきました。」

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外に行って伝えるのではなく、大下水産に来てもらえる場所を作り、私達と会って話して、ここにしかないものを食べてもらう。そんな思いが清美さんの中で膨らんでいきました。

——清美さん「捌きたての鯛の身のゴリゴリって絶対、今ここでしか食べられない食感。それが美味しい、美味しくないじゃなくて、ここで食べられるものがそれならそれで良い。ここで、店をせなあかんのかもって思いました。」

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左:清美さん 右:妹さん
(大下水産 提供)

清美さんが食堂への思いを持ったのは2020年頃で、実際にオープンに至る3年前。当時は弘和さんと夫婦2人で、海の仕事と加工をしながら新たにお店も運営するのは現実的ではありませんでした。そんな時、清美さんが頭に思い浮べたのは10歳離れた妹さんでした。コロナで世の中が外出を自粛した際に、SNSでの情報発信を始められたのは妹さんの後押しがあってこそでした。

——清美さん「妹は私の不足している所をいつも補ってくれる人。食堂は妹ともできたらと思っていました。」

食堂のオープンが現実味を帯びてきたのは、南伊勢町にオープンしたシェアキッチン「うみべのいえキッチン」と息子の航平さんの帰郷でした。「うみべのいえキッチン」は2021年にオープンした同町内のシェアキッチン施設です。清美さんは商工会の担当者に背中を押され「うみべのいえキッチン」を仕掛ける西岡奈保子さんに食堂への思いを伝えて、意気投合。妹さんの力を借りて、後に食堂の名物となる鯛の炙り寿司を「うみべのいえキッチン」でテイクアウト販売して、好評を得ます。

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テイクアウト用「鯛の炙り寿司」
(大下水産 提供)

さらにテイクアウト販売に取り組み始めた頃、息子の航平さんが南伊勢町に帰ってきました。料理人の道に進んでいた航平さんの帰郷で、食堂ができるかもしれないと思った清美さん。食堂をしたい母の思いを航平さんに伝えました。

——清美さん「俺は反対やって言ったんね。飲食店で働いてきた子で厳しさを知っているから。でも、お母さんがするって言うなら、協力するよって言ってくれた。」

清美さんは、そこから何度か自問自答を繰り返して至った結論は、それでも食堂をやりたいという気持ちでした。弘和さんの土台に、妹さんと航平さんの力が加わったことで、2023年1月28日に「寶鯛の食堂 日々」は無事、オープンしました。

——清美さん「結局は自分が全部できないことを主人や航平、妹がして、私って感じです。私1人じゃできないことを皆んながしてくれるから、今が成り立っています。」

時を重ねて 鯛養殖業を継ぐこと

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——航平さん「僕、高校1年生の時に継ぎたいって親に言ったんですよ。でも、その時は厳しいよって正直に言われました。」

子供の頃から、鯛の餌やりなどを手伝いながら育った航平さん。鯛を見るのはもちろん、食べることも楽しかったと子供の頃を振り返ります。航平さんが家業を継ぎたいという思いを親に伝えたのは、将来の進路について考えた高校1年生の頃。当時は3.11の津波被害の対応に追われ苦労する親の姿を間近で見ていました。漠然とした思いと厳しい現実から一旦は諦めて、調理の専門学校へ進学します。専門学校を卒業後は大阪の飲食店に勤めて、料理人の道を歩み、そして、2022年に故郷である南伊勢町に帰ってきました。

——航平さん「最初は継ぐつもりで帰ってきていなくて、もっと色々な経験をしてみたかったんです。」

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WEBメディア運営会社へのインターンシップに行くなど、これまで歩んだ道とは全く別の仕事に刺激を受けます。その一方で、故郷で過ごす時間の中で抱いたのは「家業を継ぎたい」という思いでした。高校の時よりも強い意志を持ち、弘和さんと清美さんに思いを伝えた結果、覚悟があるなら継いだら良いと返事をもらいます。

家業を継ぐ意志表示をしてから、約1年が経ちました。

——航平さん「やってみたいと思ったときにやれる環境はすごく有り難いし、面白いです。ただ、正直な感想として厳しい面も多くて、僕が入ってから2回も餌代が上がりました。」

餌代が上がっても魚の値段は変わらない。これからも餌の値段が上がると言われていている養殖業に航平さんは不安を感じています。

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(大下水産 提供)

——航平さん「それと同時に親の偉大さを知りました。日々、親がこれだけのことを続けてきたと思うとやっぱすごいなと思います。」

2023年8月に結婚した航平さん。今あるものを大切にして、まずは親の仕事をしっかりと身につけて一人前になることが目標です。

温かな大下家族の絆が鯛に宿る

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——清美さん「大きな会社に憧れを持った時もありました。だけど、私らはこの形が一番ベストなんやなと思って。みんなが助けてくれて、私も主人も妹も息子もいっぱい合わさって、一つのものができる。それが大下水産。」

「寶鯛の食堂 日々」で感じた陽だまりのようなモノは何なのか。それは、大切に育てられた鯛をいただいて受け取った大下さんご家族の温もりなのだと気づきました。

大下水産

住所
〒516-0116
三重県度会郡南伊勢町迫間浦1188-19
ウェブサイト
https://www.oshitasuisan.com/

寶鯛たからたいの食堂 日々にちにち

住所
〒516-0116
三重県度会郡南伊勢町迫間浦1188-19
(大下水産とおなじ)
ウェブサイト
https://nichinichi.base.ec/

取材・文

濱地雄一朗 | Yuichiro.Hamaji

三重県で活動する地域ライター。三重県といっても東西南北、文化や自然・食と魅力で溢れていることに気づき、仕事もプライベートも探求する日々を過ごしています。専門は物産と観光、アクティビティ体験など。自身で三重県お土産観光ナビも運営中。

三重県お土産観光ナビ
https://mie-hamaji.com

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