大好きな伊豆の海で、興味を持った海女の仕事
子どもの頃からダイビング好きの両親に連れられ、よく伊豆の海に遊びに来ていたという佐伯草子さん(42歳)。高校卒業後は東京でいくつかの仕事を経験しつつも、一番長く務めたのはダイビングショップと、やはり海に関わる仕事でした。
「伊豆には、早くから両親がリタイア後に住むための家を購入していたこともあって馴染みがありました。それで2012年の元旦に、パートナーとふたりで家にいた時、突然、私たちも伊豆に住もうかと盛り上がり、携帯で賃貸物件をチェック。すると、とっても素敵な家があって、ワ、ここに住みたい!と。もう翌月には引っ越していました」
先のことは何も考えず「勢いで」、東京から静岡県伊東市川奈に移住したのが32歳の時。知り合いなど誰もいませんでしたが、憧れの伊豆暮らしを実現できたのが嬉しくて、佐伯さんたちはしばらく貯金をとり崩しながらサーフィンをして遊んでいたと話します。その間に出会ったのが、海女という仕事でした。
「海で遊んでいるうちに、サーフィンをする人たちと仲良くなって、地元の情報をもらえるようになったんです。その中で、川奈には海女さんがいるという話を聞き、はじめは冗談で『私もやりたいな』と言ったら、関連する会社の社長さんを紹介してもらえることに。それが今、お世話になっている株式会社海女屋の上村社長です」
最後の一人に弟子入り、新しい仲間もできた
初代が三重県の鳥羽・志摩地方から海女さん達と一緒に移住、今から60年以上前にサザエの卸・小売りとして創業した(株)海女屋。その後、飲食店事業にも参入し、シーズンには、海女さんがとる海産物の料理で観光客にも人気の有名店となりました。
しかし、残っていた海女さんは60代の女性ただ一人。後継が現れる気配もなく、川奈の海女漁は途絶える寸前と思われていたのです。そこに突如、30代前半の佐伯さんが現れて、弟子入りを志願。サーフィン仲間など共通の知り合いが社長に人となりを話してくれたことも功を奏し、佐伯さんはひとり残っていたベテランの海女さんから、潜る技術や心得など多くを継承することができました。
「海で遊んでいたので素潜りは得意でしたが、とにかく最初はサザエやアワビの生態を知らないので、貝がいる場所がわからない。潜るポイントがいくつかあって、すべての地形や岩の形なども覚えなければならず大変でした」
それでも、海女さんになって2年目を迎える頃にはメディアの取材が増え、佐伯さんの活躍を見た地元の女性2人から志願者が現れました。ふたりとも40代からのスタートでしたが、80代で現役もいる海女さんの世界ではまだまだ若手。その後、佐伯さんを育ててくれた先輩は70歳近くで引退しましたが、川奈の海女漁は途絶える寸前で3人に増え、一気に若返りを果たしました。
すでに海女歴12年のベテランとなった佐伯さん、今なお仕事に飽きることはないと話します。
「海の中で素潜りをしていると、自分に向き合う感じがしてとても面白いのです。脳が酸素を使うと聞いたことがありますが、考え事や悩み事があると本当に呼吸が浅くなって体力を消耗するので、精神状態をフラットに保たなければいけないなど。海の状況も毎日違って、楽な日もあれば過酷な日もある。癒されたり緊張したりと、そのギャップが面白くて飽きません。何歳までやれるかはわかりませんが、体が動かなくなるまで、例え10個しかサザエをとれなくなっても、続けられるだけ続けたいと思いますね」
近年、(株)海女屋では旅行会社と提携し、観光客が海女さんと交流できる「海女さんツアー」を企画。佐伯さんらと協働し、SNSでも情報発信をするなど、海女漁の伝統と文化を多くの人に知らせようと努めています。その甲斐あって、高校生から問い合わせがあるなど、少しずつ若い人が興味を持つきっかけに。一度は消えかけた海女漁の灯が、これから大きく再燃していくのかもしれません。