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vol.15
2020.12.29

「生」を超越する「凍結」品質を。世界レベルのフロンティアを目指す [前編](有)三陸とれたて市場 代表取締役 八木 健一郎さん

岩手県大船渡市にある有限会社三陸とれたて市場。20年も前からインターネット直販を独自に展開し、漁船にカメラを取り付け、生産現場をライブ配信、翌日には生の魚介を消費者に届けるなど、斬新な取り組みで話題になりました。しかし、東日本大震災後は大きく事業を転換。売れ筋だった「生魚」から完全に撤退し、生を超越する「凍結」品質の追求に乗り出した八木健一郎氏。自身が水産の世界に入ったのは「事故」と笑う、そのユニークな軌跡についても伺いました。

不本意だった水産学部への入学

静岡県出身の八木さんが岩手県に移住したのは、大学2年生の時。所属する水産学部のキャンパスが岩手県大船渡市にあったことが理由だった。

もともと水産を志したわけでなく、入ったのは「完全に事故(笑)」。大学受験時には理学部を志望したが、間違えて願書を出した水産学部だけで合格。既に浪人をしていたので「親からのプレッシャーもあり」、入学するしかなかったと話す。

しかし、身内に医者が居たことで、子どもの頃から医学の道を勧められてきた八木青年にとって、水産学部への入部はコンプレックスでしかなかった。

「4年間、イヤでイヤで仕方がありませんでした。そのコンプレックスを払拭するため、通っていた北里大学の水産学部が東大学閥だったので、卒業後は東大の大学院を目指そうと決意。その前に、教授が1年間自分のもとで修行をしろと言うので、研究生として大学に残りました。が、半年後に教授からカミナリを落とされて、研究室を飛び出してしまった。もう人生終わりだー!って、山のてっぺんで号泣したのを覚えています(笑)」

その時はじめて、自分の人生を見つめ直したと話す八木さん。すると子どもの頃は、単純に生き物が好きだったことを思い出した。

「生き物に対しては、育てる楽しみや生きていることの不思議さなどが、僕の中に本質的な興味の対象としてあったはずなのです。中でも魚は、家の3方を用水路に囲まれていたので、とても身近な存在でした。なのに、成長するにつれ大人の事情が台頭してきて、純粋な好奇心から遠のいてしまった。僕は別に水産がイヤだったんじゃない。水産や水産学が置かれた社会的な位置がイヤだったんだと気づきました。」

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水産学部時代の八木さん

その後、やることを失った八木さんは、学生時代にお世話になっていた漁業者のもとへ仕事の手伝いに通い始める。すると学生時代には見えなかった生産現場の魅力や苦労が見えるようになってきた。

「生まれ育った静岡の海とは違い、三陸海岸は世界三大漁場と呼ばれるだけあって、ものすごく多様な魚種が年間を通して水揚げされている。だけど、いくら魚を獲っても『大量貧乏(生産物の量が多く、価格が暴落すること)』が続いて生計が立たないとか。漁業者と生活を共にしてみると、この労働で、このクオリティで、この低い価値評価はなんなんだ?と疑問に感じるようになりました」

壁は「認知不足」ではなく「面倒臭さ」にあり

大学を辞めて1年後。漁師や学生時代の仲間と共に三陸の情報を流しながら、地場の水産物を直売するWEBサイトを立ち上げた八木さん。さらには、船にカメラを取り付け、生産の現場をライブ映像で配信、翌日には商品を届けるというビジネスモデルを確立、法人化も果たした。

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「岩手県初のネット産直事業」として話題に

インターネットがまだまだ普及していない時代。電電公社に勤務する父の影響で、通信機器に精通していたのも八木さんの強みだった。

「三陸や水産が羽ばたけないのは認知不足が原因だと思ったんです。だから、漁業の現場に入って自分が感動したことをリアルタイムで届けたい。すべてをドラマチックに、生々しく消費者に伝えたかった。機材やソフトもほぼDIY。全部、自分たちで作りました」

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生産現場のライブ中継も見られるネットショッピングサイト

案の定、このユニークな取り組みにメディアはおおいに反応した。三陸のPRとしては大成功。しかし、知られるようになると今度は、生産と消費の現場に思いもよらない問題が起きる。

「生産の現場は『静かでいたい』。取り上げられるとその分、なにかと地元に面倒が起きる。でも産地名が注目されることで魚の値段は上がって欲しいという、矛盾ですよね。一方、消費の現場では、メディアで見て面白がって注文してみたけれど、海が時化て商品が届かない。パソコンでライブ中継を見たダンナさんが軽い気持ちで注文。翌日に生きたウニが届いて、奥さんが『アンタ、ゴミの日いつだと思っているの?誰がさばくの?』ってキレるとか(笑)。問い合わせや不漁時の対応など事務作業が増えてきて、大きな負担となっていきました」

「認知」が進めば進むほど、本質的な問題が浮き彫りになってきた経験から、八木さんは「解消すべき最大の課題は魚の『物性』だった」と確信。賞味期限の短さやおろす手間、大量の生ゴミが出ること、価格や納期が保証されないなど、水産物特有の「物性」=「面倒臭さ」を解決しなければ、どんなに知られたとしても、事業としての定着は難しいと危険性を痛感した。

「しかし、現場は魚介の調達や出荷作業に忙殺され、緩やかながら業績も右肩上がりだったため、物性の改善までは手を付けることができず、魚とはそういうものだと自分たちに言い聞かせ、ごまかしながら走り続けていました」

そこに、やってきたのがあの大津波。2011年の東日本大震災である。

後編へ続く

プロフィール

八木 健一郎(やぎ けんいちろう)

1977年静岡県生まれ。北里大学水産学部(現・海洋生命科学部)卒業。2001年に地元の商店と協働して鮮魚のネット販売を始め、2004年有限会社三陸とれたて市場を設立。船に設置したネットカメラで漁を中継するなど、ICTを活用した販促を行う。東日本大震災後は、地元の漁業者とともに漁業復興に取り組み、魚の加工プラントを新設。地域の雇用創出に貢献するとともに、競争力のある商品開発を行っている

八木 健一郎 有限会社三陸とれたて市場 代表取締役社長

取材・文

塩坂佳子(しおさか よしこ)

ライター、編集者。合同会社よあけのてがみ代表。『石巻さかな女子部』主催。
東京で雑誌の仕事をしていたが、東日本大震災後はボランティア活動をしに東北へ通い、2015年秋に宮城県石巻市へ移住。2017年にオリジナルキャラクターブランド『東北☆家族』をはじめ、東北のさまざまなことを企画・編集する合同会社を設立した。魚の街・石巻から日本の魚食文化復活を叫ぶ『石巻さかな女子部』部長としても活動。2019年には石巻の民泊『よあけの猫舎』もスタートした。https://yoakenotegami.com

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